ゲームの親密さはなぜ“恋愛”に行き着くのか?恋愛に惹かれないゲーマーが抱く違和感と、ゲームがもたらす楽しみ【コラム】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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ゲームの親密さはなぜ“恋愛”に行き着くのか?恋愛に惹かれないゲーマーが抱く違和感と、ゲームがもたらす楽しみ【コラム】

見えづらく、取りこぼされがちなアロマンティックの存在

連載・特集 特集
ゲームの親密さはなぜ“恋愛”に行き着くのか?恋愛に惹かれないゲーマーが抱く違和感と、ゲームがもたらす楽しみ【コラム】
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本作のロマンスにはある種の問題点とも言える取りこぼしとさらなる伸びしろがあり、それがまさに性的惹かれに基づく恋愛至上主義的価値観に由来しているとご紹介しました。

つまり、ビデオゲーム的な親密さ/ロマンスシステムのゴールが、慣例的かつ暗黙的に恋愛と性愛に設定されすぎていて、関係性の選択肢が受け入れか拒絶のどちらかしかなく、ともすればロマンスの成否が追加のバックストーリーや特別な報酬へのアクセスにも関わってくるケースさえ少なくなく、アロマンティックやアセクシュアルなゲーマーにとっては、(コンテンツを100%経験するために自身のアイデンティティに沿わない選択を強いかねない)ある種のストレスやジレンマ、罪悪感を抱かせる可能性があるわけです。

こちらは、国内外の様々なゲームニュースを届ける情報サイトdoope!に掲載された記事「バルダーズ・ゲート3」のロマンスには、時間的な制約で実装できなかった“友情”ルートが存在した、Larianのライターが言及からの引用です。

筆者はこの記事を読み、「自分たちの存在が認識されていて、それを取りこぼしていることに言及した」事に感動し、そして共感しました。このような考えをゲーム開発者が持っているという事だけでも、ある種の希望を感じます。恋愛的惹かれを持たないユーザーも、ゲームを遊んでいるのだ。と言ってくれていることに。

『バルダーズ・ゲート3』(2023) ストアページより引用

本記事では、恋愛に惹かれない筆者がゲームを遊ぶ時に感じている違和感や、そもそも「恋愛に惹かれない」とは何かを実際の体験から紹介します。

これはあくまで筆者個人の視点であり、「恋愛的惹かれを持たない」人にも様々な人がいます。もしこの記事で初めて「恋愛的惹かれを持たない」人のことを知る方は、他の人も筆者の考えと全員同じであるとは思わないでください。また、筆者のケースと違う人に「違うから嘘なのでは」と疑いを向けるような事も、絶対にしないでください。

「恋愛感情、恋愛的惹かれを持たない」こと

まず、「恋愛的惹かれを持たない」ことについての説明を少しします。言葉通りの意味です、と言えばそれで終わりなのですが、私たちは長い間――そして今でも、社会から見えづらくされ続けていました。それは、人間は必ず人(主に異性)を恋愛的に愛するものである。という価値観が、何の疑いもなく世界で共有され続けていたからです。

しかし、必ずしもすべての人間が他人に恋愛感情を抱くとは限りません。このような人々を指す言葉として「アロマンティック(Aromantic)」というものがあります。また、他人に性的惹かれを感じない人は「アセクシュアル(Asexual)」といい、アロマンティックを略して「Aro・Aロマ」アセクシュアルを略して「Ace・Aセク」と言ったりもします。

「As Loop」より引用

他にも様々なアイデンティティがあり、それらを「Aスペクトラム」とまとめることもあります。今回はこちらの2つのみの説明にとどめますが、詳しく知りたい方はこちらを見てみると、より深く知ることができます。

ただ、大切なのは「用語」を覚えることではなく、「このような人たちがいる」と認識することです。ゲーム好きな人を「ゲーマー」というと分かりやすいように、あくまでも用語は自分を説明するためのもの、あるいは自分と近い人の存在を可視化するためのものです。恋愛感情を抱かないからといって、必ずしも自分はアロマンティックであると言う必要はありませんし、筆者も自身の事を「アロマンティック」ではなく、「恋愛感情を持たない・恋愛的惹かれを持たない」と説明するようにしています。

また、これらの人たちは最近になっていきなり出てきたわけではありません。ただ、見えていなかった・いないことにされてきただけで、その存在自体は何世紀も前から確認されていました。
しかし以前は、性的欲求がないことを「性的欲求低下障害」といった「病気」と見なし、「治療すべきもの」とする認識がありました。アメリカ精神医学学会が刊行する「精神疾患の診断・統計マニュアル」通称DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)では、2013年に刊行された第5版「DSM-Ⅴ」において、アセクシュアルを性機能不全と区別し、診断対象から除外することが明記されました。ですが、1987年に出版された第3版の改訂版「DSM-Ⅲ-R」では性的欲求が低いことを病気として扱っていたのです。なお、同じ版でそれまで疾患リストに残されていた「同性愛」の項目は、完全に削除されています。

このように、恋愛感情と性愛感情を抱く状態が「正常」であり、恋愛的・性的惹かれを他人に抱かない状態は「異常」であるという意識が長く共有されてきた背景があり、そうした人々の存在は長い間認識されてこなかったのです

普段どのような偏見や奇異の目、差別にさらされているのか

最近になって少しずつLGBTQ+という言葉や多様なセクシュアリティ・アイデンティティが周知されるようになってきましたが、恋愛至上主義・異性愛規範的価値観は根深く、アロマンティックやアセクシュアルの認知度はまだ低いのが現状です。なかでもアロマンティック(に関連したアイデンティティ)は特に認知度が低いと筆者は感じています。そのため、筆者含め日常的に偏見や差別、疎外感を感じる当事者の数は少なくありません

Aro/Aceに関する調査研究や監修を行う団体「As Loop(アズループ)」による「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2024調査結果報告書」では、「Aro/Aceであることで経験したこと」としてアロマンティックの回答に以下のような結果が示されています。(以下、ハラスメントに関する内容があります)

「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2024調査結果報告書」より引用

「オンライン上で不愉快な言葉を見聞きした」が38.8%と最も多く、その次に「直接、不愉快な言葉を言われた」が31.9%、3番目に「不愉快な個人的質問をされた」が28.4%となっています。これらは、筆者自身にも経験があります。

学生時代に「好きな人とかいないの?」「恋人は?」と聞かれ、「自分はあまり恋愛に興味がない」と伝えた際、主に大人から「まだいい人に出会っていないだけだよ」「若いし可愛いんだからできるよ」「まだ分からないから決めない方がいい」と返されることが多くありました。たしかに、将来恋愛的に好きな人ができるかもしれません。しかし、だからといって「今そうである」事を否定していいことにはなりません。「恋愛しないなんて勿体ない、損してる」と言われたこともあり、どうして自分に恋愛をさせたいんだろう。という疑問と、“損”という言葉に釈然としない気持ちを抱きました。

また、恋愛感情を抱かないと言ったにも関わらず「そんな人いないよ」と目の前にいる本人に向かって存在を否定されたり、「あんまり恋愛に興味ないんだよね」と何度も伝えているのに、まるで聞いていなかったかのような言動をされたこともあります。「本当にそうなの?嘘なんじゃないの?」と非当事者から“ない”ことの証明を求められたりもしました。これらは、全て実際に筆者が経験したものの一部です。

「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2024概要報告」より引用

他にも、「学生時代に誰とも付き合ってない人はヤバい」「この年で結婚していないのはおかしい」といった恋愛・結婚をしていない人は何かに欠け、劣っている、という風潮もあります。フィクションの恋愛描写を楽しんでいたり、異性のキャラクターが好きだと言うと「やっぱり嘘じゃん」という目で見られたり、「アロマンティックなんてモテないことの言い訳」「わざわざ主張する意味が分からない」という意見をオンライン上で何度も見聞きしたこともありました。

フィクションの恋愛を楽しみ自由に空想することと自分が関わる現実の恋愛はまったく別物ですし、そもそも他者から恋愛的に好かれる事自体が嫌だという当事者も多いため、恋愛的な意味での「モテる」ことに憧れを持たない傾向にあります。筆者自身も、他者から恋愛的な好意を向けられたくなく、モテない方がむしろ過ごしやすいだろうと感じます。なので、これらの意見は認識の前提からして間違っています。そしてこれらは何か「トラウマ」があったからそうなってしまった、という訳でもありません。

“わざわざ”主張する理由は、現在の社会では何も言わなければ「異性を恋愛的に好きになる人」だと見なされてしまうからです 。その前提で自身を認識され、話を振られる事が苦しく、また自分の事を分かってほしい・そのような人がいると知ってほしいから、“わざわざ”言うのです。何も言わなければ「◯◯だ」と思われてしまう現象は、恋愛感情を抱かない人だけでなく、同性愛者やバイセクシュアル、トランスジェンダーやノンバイナリーなど、セクシャルマイノリティに限らずさまざまな「少数者とされている人たち」が共通して経験することでもあります。世の中のものが右利きを前提に作られていて、左利きの人が不便を感じやすいのと似たようなことです。

そして、そこに差別や偏見があれば「そんなことはない」と説明しなければならなかったり、「傷つけられるかもしれない」という恐れから、そもそも声をあげること自体がしづらくなってしまいます。そんな人はいない・少ないと思われるのは、“当事者の問題”ではなく当事者“以外”の側から生まれる問題です。

筆者は現在、恋愛感情を抱かず恋人やパートナーもいませんし、今のところ欲しいとは思いません。ですが、家族や友人を大切に思い、愛しています。ほぼ毎日ゲームや映画など大好きなフィクションに触れ、自分のことを知ってくれている友人たち(オンライン上の繋がりも含め)と一緒にゲームを遊んだり、夜遅くまで好きな作品について通話でだらだら話したりしながら日々を過ごし、それを幸せだと感じています。

『エルデンリング ナイトレイン』(2025) フレンドと勝利後にニーヒルではしゃぐ様子。

恋愛感情は抱きませんが、大切な人は確かに存在します。そして、恋愛的かそうでないかに関わらず、誰も愛していないことが「問題」で「悪い」などということも全くありません。そう思ったり思わされたりしているのは、全て社会的な規範による圧力からきているといえます

「恋愛至上主義的価値観」をゲームで感じた瞬間

では実際に、冒頭で触れた「ビデオゲーム的な親密さ/ロマンスシステムのゴールが、慣例的かつ暗黙的に恋愛と性愛に設定」されていると感じた瞬間を筆者の体験からお話します。

それは、ほぼすべての行動を選択しながら進めるアクションアドベンチャー『デトロイト ビカム ヒューマン(以下、デトロイト)』をプレイしていた時のことです。本作に登場する3人のアンドロイドの主人公のひとり「マーカス」篇では、アンドロイドの地下組織「ジェリコ」のリーダーとなり、アンドロイドの自由と権利を求める運動を率いることになります。

当時の筆者は「野蛮だと思われたら話を聞いてもらえなくなるかもしれない」という考えから、なるべく非暴力的な選択を取り続けていました。しかし同じ組織の「ノース」という女性型アンドロイドは、「そんなやり方では甘い」と暴力に訴える手段を積極的に主張します。「気持ちは分かるけど……」と思いながらも、筆者は反対の選択肢を選び、彼女と対立し続けていました。

『デトロイト ビカム ヒューマン』(2018) 女性型アンドロイドの「ノース」

ところが、何故か途中からノースとのロマンスルートとみられる選択肢が現れるようになります。「こんなに意見が合わないんだから付き合うのは難しいと思うし、恋愛的な方向には行ってほしくない」と思い、彼女とのロマンスルートに関わりそうな選択肢は全て選ばないようにし続けていました。

フローチャート画面、筆者は「ノースにキスしない」を選択している。右の数字は全世界の選択(%表示)

そして迎えたマーカス篇の終盤、武装した軍に囲まれた中でアンドロイドたちが歌を歌い、平和的手段でアンドロイドの権利を勝ち取るエンディングへと辿り着きます。その場面で「歌う」以外に「ノースにキスをする」という選択肢もありましたが、その選択肢の出現に引っかかりを覚えつつ、今までの行動と自分の気持ちから選びませんでした。

自分が選んできた選択が実を結び、希望的な未来を予感させる展開に涙ぐみながらエンディングのムービーを見ていたところ、ノースとの恋人ルートが突然解除され、マーカスとノースは微笑みながら手を合わせて見つめ合い、キスをします。その瞬間、「あれっ」と世界から急に突き放されたように感じました

『デトロイト』は、ほぼ全ての行動を自分で考え、選択するゲームです。そんなゲームで、プレイヤーが介入できないムービーシーンで、今まで恋愛に関する選択肢を全て避け続けてきたのに、最後に2人は結ばれてしまったのです。おそらく、これはロマンスに関わる選択肢を選ばなくても、それまでの行動によって関係性のステータスが上がってしまったことで起こったのでしょう。

さっきまで自分のことのように喜び感動していたというのに、ずっと一緒に連れ添ってきたマーカスが、画面を隔てて別世界の存在になってしまったように感じました。

アリスとルーサーの3人で血の繋がらない“家族”として逃避行を続けてきた「カーラ」篇や、アンドロイド嫌いなハンクと事件を追いながら関係の変化も感じられた「コナー」篇など、人間や心とは何かを問うSF『デトロイト』は筆者にとって好きなゲームのひとつです。しかし、マーカス篇の最後で抱いたモヤモヤとした気持ちを、未だに忘れることができません。

もし、違うルートに行っていたらこんな思いはしなかったのだろうか。こんなにルートやエンディングがたくさんあるゲームでも、恋愛的に結ばれることが幸せであるかのような終わり方をしてしまうのだろうか。今まで彼女を受け入れてきたのならいいけれど、そうでなければおかしいじゃないか。「最後に恋人になったら、みんな嬉しいよね?」というフィクションを多く見てきた事もあり、そう感じてしまったのです。
私はあんなに「拒否」を選択してきたのに、どうして最後に結ばれてしまったのだろう。

フィクションでの恋愛を楽しむこと、ゲームでの恋愛の描き方

ゲーム以外でも恋愛的な展開に「なぜ?」と思うことは頻繁にありますが、思い返してみるとゲームでそのような体験をしたことはあまり多くはないかもしれません。ただ、これは「じゃあ少ないんだ」というわけではなく、そもそも恋愛的要素が話やゲームプレイの主軸に据えられそうな作品を避ける傾向にあるからだと思われます。

もともとアクションやシューター、SFにロボ、血みどろで暗く残酷な世界観が純粋に好みという点もありますが、それらが好きな理由に「恋愛が主軸の話ではなさそうだから」が含まれている可能性もあるということです。主軸でないがゆえに突拍子もなく納得のいかない恋愛描写が挟まれることもありますし、ロボットアニメでは恋愛模様が描かれることが多いのですが……。

『アーマード・コア フォーアンサー』(2008) SFにロボ、厳しく残酷な世界観が大好きなシリーズのひとつ。

「青春」という言葉や雰囲気が感じられる作品や、仲間との関係性が恋愛に発展してしまいそうな作品はどうしてもプレイの優先順位が低く、あまり触れたことがありません。プレイする場合は「自分が好きになれない恋愛要素があるかもしれないな」と思いながら臨みますし、乙女ゲームやギャルゲーも気にはなるものの、「どうして友達じゃだめなんだろう」と最後までプレイできるビジョンが見えず、自分に向けて作られていないと感じるためほとんど手を出せていません

プレイしたことがある恋愛シミュレーションゲームは、サイコホラーな『ドキドキ文芸部!』と、シングルファーザー同士の恋愛を描いた『Dream Daddy: A Dad Dating Simulator』くらいでしょうか。

『ドキドキ文芸部!』(2017) 筆者はユリちゃんが好きです。
『Dream Daddy: A Dad Dating Simulator』(2020) 娘との交流やシングルファーザー特有の悩みもあり、それらについて考えることもできます。

ただ、自身が恋愛感情を抱かないからといって、フィクションなどの恋愛すべてに共感できず楽しめないわけではありません。恋愛そのものを嫌悪しているわけではないですし、ゲームで恋愛を楽しむこともあります。ゲームは「主人公」の比重を高めて物語を捉えることも、操作する「自分」の比重を高めて捉えることもできる“自由さ”がありますから。

例えば、筆者はジュブナイルRPGの『ペルソナ5』で、怪盗団の仲間である天才ハッカー「佐倉双葉」ちゃんの事を本気で彼女だと思っていました。同時に「リーダーとして怪盗団の仲間と付き合うのはちょっと……」とも感じていたため、「主人公」が付き合っているのではなく「自分」が双葉ちゃんと付き合っていると思いながらコープ(またはコミュ、親愛イベントを指す)を進めていました。
彼女は恋人やお付き合いがどういうものなのかあまりよく分かっておらず、「こうすれば恋人っぽいのかな?」という反応をするのが可愛らしくて、筆者としてはプラトニックな関係のようでストレス無く楽しめました。

『ペルソナ5』(2016)

ただし、『ペルソナ5』は女性キャラクターほぼ全員と恋愛関係を結べるのに対し、男性キャラクターには1人もそれができないこと、双方の同意無しに複数の女性と恋愛関係を持てることからして気になる点が目立つゲームではあります(同意があれば複数人と関係を持ってもいいでしょう)。主人公が異性愛者だからできない……と捉えることもできますが、男性キャラクターから告白される、というアプローチは可能なはず。

1999年発売の『ペルソナ2 罪』では、とあるタイミングで男性主人公が男性キャラクターに告白でき、またある種の茶化しがないわけではありませんが、「恋人!?」表記の関係になれた事を考えると、それ以降の『ペルソナ』シリーズの恋愛システムはプレイヤーの自由度が低下しているといえます。

『ペルソナ2 罪』(1999) 画像は2011年のPSP版
台詞自体は「恋人!?」ではない関係でも同じなため、あくまでも表記上のみの要素ではあります。

また、登場人物のほとんどが恋愛的関係を結ぶSFアドベンチャー『十三機兵防衛圏』も、少年少女たちの恋愛模様を「あらあら」と思いながら見守っていました。こちらは関係性の積み重ねが見える物語になっていますし、「遅刻遅刻~」と食パンをくわえてぶつかった相手に一目惚れ……というコテコテな導入から始まる冬坂五百里編も、大好きな「瑛くん」の前でたじたじな彼女を応援したい!と感じていました。
そもそも『十三機兵防衛圏』を最後までプレイし、どのような話をしようとしていたのかが分かれば本作にカップルが多い理由も納得できます。

『十三機兵防衛圏』(2019)

他にも、ローグライク・ダンジョンアドベンチャーの『Hades』では主人公「ザグレウス」と死神の「タナトス」にロマンスルートがあると知るやいなや、「2人のロマンスが見たい!」というモチベーションでメインストーリークリア後も冥界から地上へと登り続けていました。

『Hades』(2020)

続編の『Hades II』でも、ザグレウスの妹「メリノエ」と義憤の女神「ネメシス」のロマンスを見るまではプレイを続けよう……!と前作同様クリア後も冥界と地上を駆け巡り、彼女に親密度用アイテムの「アンブロシア」を貢ぎ続けていました。

『Hades II』(2025)

男性同士の恋愛ノベルゲーム『Milky Way Prince – The Vampire Star』では、主人公のナキがボーイフレンドのスーンとベッドを共にした後に涙を流して去ったり、連絡をくれたと思ったら罵詈雑言の嵐を浴びせられたり……というシーンで、まるで本当に自分が何か悪い事をしてしまったのではないかという焦りと罪悪感を覚えました。
こちらは「恋愛・性愛を主軸に置いたゲーム」ですが、痛いほどの愛と苦しみに身が裂けてしまいそうな感覚を体験できた、筆者にとって大切な作品です。

『Milky Way Prince – The Vampire Star』(2020)

このような例を挙げると、先ほども触れたように「ほら、やっぱり恋愛に興味があるんだから嘘なんじゃん」という反応をされることがあります。しかしそれは「暴力的なゲームをやっているのだから、そんな人はいつか犯罪を起こすはずだ」という暴論とほぼ全く一緒です。
スポーツ観戦が趣味だと言って「じゃあプロになれば?」と返されるのも変な話でしょう。それなのに恋愛となると、他のものとは違い“本当”は“本物”に興味があるはずだ、という目線を向けられやすいのです。

筆者が楽しんだゲームでの恋愛をいくつか紹介してきましたが、ゲームにおける恋愛の描かれ方は、大きく3つに分類できると考えています。

  1. 恋愛システムがストーリーや進行と密接に関わっているもの

  2. プレイヤーの欲求に応えるために恋愛システムが存在するもの

  3. システムとしての恋愛はないが、ストーリー上で恋愛が描かれるもの

1つ目の例としては、1992年に発売されたRPG『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』が挙げられます。プレイヤーは途中で冒険を共にする主人公の幼馴染「ビアンカ」と大富豪の令嬢「フローラ」のどちらと結婚するかという“選択”を迫られます(DS版以降のリメイクでは「デボラ」という3人目の選択肢が加わっています)。キャラクターへの思い入れだけでなく、ゲームを進める上でのアイテムや性能面のメリットも天秤にかけられ、選択がその後の進行にも影響します。

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(1992) スクウェア・エニックス公式サイトより引用 画像は2004年のPS2版

『ペルソナ5』や『Hades』は、プレイヤーが選択した恋愛がメインストーリーにほとんど関わってこないため、2つ目の「プレイヤーの欲求に応える恋愛システム」に分類されるでしょう。
一方『十三機兵防衛圏』は、プレイヤーが恋愛模様に介入することはできず、ストーリーの中で決まっているため、3つ目の「恋愛システムはないがストーリー上で恋愛が描かれる作品」にあたります。主人公(プレイヤー)の関わらない登場人物同士が恋愛関係を結ぶものも、そちらに該当しますね。

『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』(2022) 連続殺人事件の謎を解明する話だが、主人公の友人「絆」とその絆に一目惚れした「ライアン」の関係性の変化も描かれる。

なお「恋愛シミュレーション」は、恋愛システムがストーリーと密接に関わりつつ、かつプレイヤーの欲求に応えるジャンルであるため、1つ目と2つ目の両方を兼ねたものといえます。つまりこの分類は、必ずしもどれか1つだけが当てはまる、というわけではありません。それぞれの度合いも作品ごとに違ってきます。『ドラクエⅤ』も相手は決まっておらずプレイヤーが選択するため、「プレイヤーの欲求に応える恋愛システム」の要素が入っています。

『ときめきメモリアル forever with you エモーショナル』(2025) オリジナル版は1994年に発売
『Florence』(2020) こちらは「恋愛システムはないがストーリー上で恋愛が描かれる作品」ですが、そうとも言い切れない面も。

この3つのうち、筆者が楽しみやすい傾向にあるのは「プレイヤーの欲求に応えた恋愛システム」です。こちらはメインストーリーに関わらないものが多いため別の要素として分けて考えられますし、恋愛するもしないもプレイヤーの意思で決められます。ただし、恋愛(主に異性愛)がメインの話となるとなかなか気が進まないので、主軸が別のジャンルやストーリーであることが大きな条件になります。

『パラダイスキラー』(2020) オープンワールドのミステリーADVで、捜査を進めると同時にキャラクターエピソードも進む。ロマンス対象キャラクターが存在し、選択が可能。

逆に違和感を覚えやすいのは「システムはないがストーリー上に恋愛が描かれるもの」が最も多く、次いで「恋愛システムがストーリーと密接に関わっているもの」という順になります。その理由は、恋愛感情を持つことを前提とし、他者から恋愛的好意を寄せられることは誰にとっても嬉しく、恋愛関係を築くことが物語の幸せである――といった社会の前提を、勝手にとはいえ感じてしまうことが多いからです。恋愛要素を避けているというよりは、そうした前提を感じてしまうことが嫌で避けている、といった方が正確かもしれません。

さらに、冒頭の記事にある「ロマンスの成否が追加のバックストーリーや特別な報酬へのアクセスにも関わってくる」という点も明確に問題だと感じます。筆者がそれを実感し、親密度・恋愛システムに問題があると感じた作品に、2025年に発売されたジュブナイルRPG『ヴァレット/VARLET(以下、ヴァレット)』があります。こちらは、前作『モナーク/Monark(以下、モナーク)』の精神的続編で、世界観は共有しているものの、舞台や登場人物、そして作品のトーンは大きく異なり、前作のダークな雰囲気とはうってかわって「青春(アオハル)」がひとつのテーマとなっています。

『ヴァレット/VARLET』(2025)

『モナーク』では、異界と繋がってしまった学園を元に戻すために、「真生徒会」の仲間たちと共に七人の悪魔の契約者に立ち向かいます。敵対するキャラクターと対になる仲間キャラクターが存在し、その章では敵だけでなく仲間の掘り下げも丁寧になされています。さらに4人の仲間それぞれに焦点を当てた章が作中に設けられており、主人公(プレイヤー)はそれぞれの抱える想いや過去に触れながら「バディ」として絆を深めていく。その関係性はさまざまですが、どのキャラクターも「大切な人」として描かれており、恋愛とは明確に示されていないものの、プレイヤーの解釈次第ではそうとも捉えられるキャラクターが男女共に存在します

『モナーク/Monark』(2021)

そこから、さらに主人公とキャラクターとの関係性にフォーカスした精神的続編『ヴァレット』でも、『モナーク』と同じく敵対するキャラクターと対になる仲間キャラクターで掘り下げを行っています。ただし、キャラクター独自の章で関係性を発展させるのではなく、キャラクターエピソードで親交を深める形式になっています。つまり「プレイヤーの欲求に応えた恋愛システム」の作品です。
本作の説明で「パートナー」という言葉が使われていたことから、「日本のゲームでは珍しく男女問わず友情と恋愛を選べる交流システムがあるのではないか」と筆者は発売前に期待していました。

しかし実際には、キャラクターエピソードで関係の進展に関わる選択肢を断ると、そのままイベントが打ち切られ、それ以降の話を読むことができなくなってしまいます。筆者はアイドルの「有坂或花」のイベントを進めていたら「ただの友人としても好きだけど、それ以上に好き」と告白されました。しかし「彼女のことは好きだけど、友達として仲良くしたいかな……」と友情ルートに入れそうな選択肢を選んだところ先のエピソードが見られなくなってしまい、仕方なくセーブデータをロードして告白に応えることにしました。

「友達として仲良くしたい」を選択後にエピソードが打ち切られる場面。

さらにその選択肢が表示される前には「すでにパートナーとなっている相手がいます。慎重に選んでください。」という警告が表示されていました。たしかに、筆者は3年生の先輩「漉名多喜」と既にパートナーではありましたが、彼とは「兄弟」のような関係であったはず。おそらく、設計としては「二股」状態になってしまう。という意味なのだと思いますが、兄弟のような関係の人がいる上で別の誰かと恋人になることが警告に値するとは思えません。仮に彼と恋人同士であったとしても、両者の合意さえあればなんら問題ないはずです。

ちなみに、『ヴァレット』でも女性キャラクターとは全員恋愛的な関係に発展するのに対し、男性キャラクターは全員恋愛的ではない関係として「パートナー」になります。

キャラクターエピソードの続きが読めなくなることを代償に自分の意思を貫き通してもよいのですが、各キャラクターには「エピソード完遂トロフィー」が用意されているため、トロフィー取得を目指す場合は制作側の想定したひとつの関係を受け入れざるを得ません

クリアまでに全員分のエピソードを見ることができないため、1周で全員とパートナーになるわけではありません。ですが、これらは「ビデオゲーム的な親密さ/ロマンスシステムのゴールが、慣例的かつ暗黙的に恋愛と性愛に設定されすぎていて、関係性の選択肢が受け入れか拒絶のどちらかしかなく、ともすればロマンスの成否が追加のバックストーリーや特別な報酬へのアクセスにも関わってくる」というケースのほぼすべてを満たしてるといえるでしょう。

楽しめたり切ないと感じたり応援したいと思う恋愛描写と、そうでない恋愛描写の違いは何かといえば、それはただの「好み」になってしまうかもしれません。ですが、関係性の積み重ねや心の動きがしっかり描かれていれば、その人が抱える気持ちを想像できますし、恋愛といっても“人間関係”であることに変わりはありません。筆者も関係性やカップリングにグッとくるタイプなので、丁寧に描かれた関係性を見ることは大好きです。ただ、少し意気投合しただけで見つめ合った瞬間顔を赤らめる――といった記号的な描写や、恋愛至上主義と異性愛規範のもとに話やキャラクターが何の疑問も持たずにある作品には、心の距離が離れてしまうのです。

何故そうなっているのか、それは恋愛関係の方が友情や信頼よりも“上位”だから、という意識が潜んでいるからではないのでしょうか。しかし、友情や信頼、言葉にはできない関係……そこに上や下など存在せず、どれも等しく大切なものです。恋愛的惹かれを持たない人だけでなく、恋愛する人であっても「このキャラクターとは恋愛したくない」と感じることはあるはず。ビデオゲーム的な親密さ/ロマンスシステムのゴールが恋愛以外のものも用意されるようになれば、さらに多くのユーザーが楽しめ、関係性の表現ももっと豊かになるでしょう。

恋愛感情を持たない「キャラクター」はどのようにゲームで描かれてきたのか

では、そんな恋愛的惹かれを持たない人は、どのようにゲームで「キャラクター」として描かれてきたのでしょうか。

まず前提として、そもそもほとんどの作品にそのようなキャラクターは登場していません。ゲーム以外の媒体でも多くはありませんが、筆者の触れるタイトルに偏りがあるにしても、最も触れているゲームというジャンルでさえなかなか見当たらない。自身の恋愛感情について明記されていなければそうとも捉えられるかもしれませんが、恋愛至上主義と異性愛規範の強い社会では「言及がない=異性を好きになる人」と、現実と同じ構図がフィクションにも持ち込まれがちです。そのため、明記されていないキャラクターを「この人は恋愛感情を抱かないんだ」と自身で思うことにも難しさを感じるのです。

最近は「アロマンティック・アセクシュアル」という言葉の周知とともに、そのようなキャラクターや作品が少しずつ増えている傾向を感じます。しかし、長い間恋愛感情を持たないキャラクターがフィクションにほとんど出てこなかったため、「出てこないことが当たり前」になり、それらを主題に扱った作品以外ではまだ“珍しい”キャラクターであることは確かです。だからこそ、今は恋愛感情を抱かないキャラクターが作品に登場するだけでも嬉しい、という地点にいます。この「出てこないことが当たり前になる」という状態は、他のマイノリティにも該当します。

「ふつうの軽音部」1巻 136ページより引用 恋愛感情を抱かないキャラクター「内田桃」が登場する。

「恋愛に興味がない」というキャラクターが登場しても、冒頭で述べたように「まだ恋を知らないだけ」「未熟で子供っぽい」「冷たい人間」という捉え方や描かれ方をすることがあります。もちろん、恋愛に興味がないキャラクターを子供っぽく・冷淡に描いてはいけない、というわけではありません。ただ、そのような人が普段どのような偏見を向けられているか、という意識を持った上で描かれているかどうかは重要だと感じます。

さらに、恋愛に興味のなかった人が、恋を知り幸せになる――といったストーリーもよくあるため、そのような台詞が出てきても「そうなるのではないか」と警戒してしまいます。恋愛に興味のない人全員が一生恋愛をしないという事もありませんし、ジェンダーや性的指向は「こう」と決めて形に当てはめるものでもありません。ただ、規範と恋愛至上主義が強い社会の中でそういったストーリーを見ると、「あぁ、またか」と辛い思いをすることがあるのです。丁寧に積み重ねた描写があれば、そう感じないこともありますが……。

先ほど3つに分類した「ゲームにおける恋愛の描き方」の2つ目、「プレイヤーの欲求に応えた恋愛システム」の場合、恋人関係になれないキャラクターは相性が悪い、扱いが難しいと考えられているのではないか、とも感じています。10人中2人だけがロマンス対象というタイプであれば他のキャラクターでそれを描けますが、『ペルソナ』シリーズのように多くのキャラクターと恋人になれる作品の場合、「どうしてこのキャラクターとは恋愛できないんだ」とプレイヤーに残念な気持ちを抱かせたり、ある種のハズレ的な扱いを受けてしまうことが想像できます。

LGBTQ+のキャラクターが多く登場する作品も遊びますが、プレイしてみるとアロマンティックのキャラクターはいなかった。と疎外感を覚えることもあります
サバイバルホラーゲームの『Sorry We're Closed』では、女性同士のカップルや男性同士のカップル、ノンバイナリーが登場し、「愛」についての話が展開されます。しかし、そこには「恋愛的惹かれを持たない」人の姿は見当たりません。

『Sorry We're Closed』(2024)

ダークなアートとポップな色彩の融合、キャラクターデザインの妖艶さ、その美しさは素晴らしく、セクシーでロマンチックなLGBTQ+フレンドリーなゲームとして『Sorry We're Closed』はこの上ない出来です。しかし、これほど多様なセクシュアリティ・アイデンティティを持つキャラクターが登場しながら、アロマンティック・アセクシュアルな存在が見えないというのは、なんだか現状を示されているような気持ちになってしまいました。「愛」を描くからこそ、私たちのような存在もいて欲しかった。そう思ったのです。

筆者がプレイしていたヒーローシューターの『オーバーウォッチ』や『Apex Legends』にも様々なセクシュアリティ・アイデンティティのキャラクターが登場しますが、アロマンティックのキャラクターは2026年7月時点では存在しません。ただ、『Apex Legends』の「オルター」は公式X(旧Twitter)にてアセクシュアルであると明言されています。

『エーペックスレジェンズ』(2019) Apex Legends: Altered Horizonsより引用

ゲームに登場する「恋愛的惹かれを持たないキャラクター」たち

そんな数少ない中で「恋愛的惹かれを持たないキャラクター」が登場し、どう描かれたかを、筆者のプレイしたゲームの中から3人紹介します。

1つ目の『A YEAR OF SPRINGS』は、3人の女性が主人公のノベルゲームです。3本の物語があり、1作目の『one night, hot springs(こちらは無料でプレイできます)』ではトランスジェンダー女性の「鈴木ハル」が、友人の「立花愛美」と元不良の「永田エリカ」と温泉に訪れ、2作目の『last day of spring』では、エリカがハルのためにスパ旅行を企画します。やさしいタッチのイラストと色で描かれたキャラクターは、本作の人を思いやることのあたたかさを感じられます。

『A YEAR OF SPRINGS』(2021) 左から、ハル、愛美、エリカ。

また制作者のnpckc氏は自身もアロマンティック・アセクシュアルのノンバイナリーであると公表しており、ゲーム制作以外にも翻訳やデザインなどを手がけています。

ハルとエリカの友人「愛美」はほんわかとした女性で、以前のハルを知っていながらも今のハルを受け入れ、仲の良い友達であり続けています。また、度々彼氏と連絡を取り合う描写が挟まれるため、プレイヤーは彼女を異性愛者であると思い込みます。

しかし、3作目の『spring leaves no flowers』では、彼女が周囲とのズレを決定的に感じる瞬間が描かれます。ある日友人のエリカから恋愛感情について「一緒にいるとドキドキする」「キス以上のこともしたいと思う」という話をされ、愛美は「そんな気持ちにはなったことが無い」「女の子にはそういう欲がないんじゃないの?」と困惑

一人で考えるには難しく、彼女はエリカとした話をハルに相談します。するとハルから「アロマンティックかアセクシュアルなのではないか」と言われます。聞いたこともない言葉に、今まで自分が「普通」だと思っていたことがそうではなく、それなら自分は「普通の人」では無くなってしまう――。と愛美はショックを受け、「私には彼氏がいるんだから違うよ」とそのことを否定します。

つまり、恋愛至上主義的な価値観が社会に根付いていたために、自分には恋愛感情があると思い込んでいた。という描き方がなされているのです。愛美にとって彼氏が大切な人である事に変わりはありませんが、その気持ちは世間一般の「恋愛感情とされているもの」ではありませんでした。ただ、今まで自分が違うことに気付くことができなかった。

自分がアロマンティック・アセクシュアルであると知った彼女がその後どうするのかは、ぜひ実際にゲームをプレイして知ってほしいのですが、このようにアロマンティックやアセクシュアルの当事者は、周囲との違いを感じても存在や言葉を知らず情報に辿り着けなかったり、自覚する年齢が成人を過ぎてからになりがちだったりします。

2つ目の『In Stars And Time』は囚われたループから脱出することを目指すタイムループ系RPGアドベンチャーです。主人公の「シフラン」は、仲間と共に王の暴政を止めるため館に突入するのですが、王の元に辿り着く前に罠にはまって死んでしまいます。しかしその瞬間、突然時計の針が巻き戻り、王に立ち向かう前日からやり直すことに。ループに気付いているのは自分だけ、シフランは何度も失敗し、何度も仲間と同じ会話を繰り返し、何度もやり直し続けます。王を倒して民を救い、この終わりのないループから抜け出すために。

『In Stars And Time』(2023)

『In Stars And Time』では、主人公がノンバイナリーであったり町に同性カップルがいたり、あるいは3人以上のカップルを想定したエピソードがあったりと、現在マイノリティとされている人々が普通に存在している世界が描かれています。別の地では習慣が異なることもありますが、舞台となる「ドーモント」ではあらゆる人々が暮らしています。

そんな世界でシフランの仲間となる「ミラベル」は、故郷ドーモントの希望を背負い侍祭として旅を共にします。彼女は「ウツロイ」という神様を信仰し、世話焼きで常に周囲に気を配り、攻撃だけでなく回復でもパーティーを支え、恋愛小説とホラー小説が大好きな女性です。

ところが、シフランがループを繰り返す中で、ミラベルが「何か」を隠し抱えていることに気づきます。その「何か」を探るため、シフラン(プレイヤー)はループを駆使し彼女から話を聞き出そうとします。すると彼女は、「王の一件が始まる前に誰かとお付き合いしようと思って、マッチング会社に相談したら候補の資料をどっさり渡されていた。明日の討伐が不安だったから、気を紛らわせるためにこれについて悩むことにしていたの」と事情を説明します。

「生涯を共にするかもしれない人を選ぶから、シフランの視点からも意見がほしい」と不安そうなミラベルに付き合うシフラン。2人はそれについて話し合いますが、彼女に「好みのタイプはある?」と聞いても、あまりピンときていなさそうな反応が

自分で望んでマッチング相手を探しているというのに、どこか乗り気でないミラベル。話を聞いていくうちに、彼女は「私は恋愛に興味が持てない」とシフランに胸の内を明かします。

恋愛に興味がない彼女が何故、お付き合いに“挑戦”しようとしていたのか。その理由は彼女の「信仰」にありました。彼女の信仰する「ウツロイ」は、「万物は移ろうもの、今の自分からより良き自分へ」と変化を促すもの。その「変化」をするうえで大切なのは、新しいことに“挑戦”すること。楽しいことだけでなく、時には怖くてやりたくないと思うことにも挑戦しなければ――。だから彼女は、「恋愛」に挑戦しようと一歩を踏み出したのです。

しかし、彼女はシフランと会話を重ねるうちに「やっぱり、これだけはやりたくない」と自分の素直な気持ちを認めます。「恋愛をしたくないのに、どうして変わらないといけないの?」とシフランが疑問を投げかけると、そうしなければいけないというプレッシャーがあるからだ、とミラベルは返します。彼女は自分から興味を持って恋愛をしようとしたのではなく、ウツロイという信仰――つまり社会規範や周囲からの圧力によって、恋愛をしなければならないと思っていたのです

さらに彼女は、「自分はどこかおかしいんじゃないか」と自身に疑いの目を向けていました。これは、多くの当事者が「自分は恋愛に興味がないのでは」と自覚し始めた頃に感じ、そして長く付きまとう大きな不安のひとつです。恋愛して誰かと付き合い結婚し、子を育むことが当たり前とされる世界で、それをやりたくないだなんて、そんなのはおかしい。何か勘違いしてるんじゃないか、自分が悪いんじゃないか。そう他者から言われる以上に、自身を何度も疑い問い続けた当事者は多く存在します。

そんなミラベルの話に耳を傾け、シフランはどう寄り添っていったのか。仲間との“絆”にも重きを置いた本作では、キャラクターのエピソードもゲームを構成する大事なピースのひとつ。2人がどのような結論に辿り着くのか――それはぜひ、ゲームの中で彼女と一緒に考えてあげてください。

3つ目の『プロミス・マスコットエージェンシー』は、追放されたヤクザの主人公「ミチ」がマスコット派遣事務所を運営し「カソ町」を復興させる、オープンワールド犯罪ドラマにしてゆるキャラ事務所経営ゲーム……という、ジャンルもあらすじもカオスな作品です。

主人公のミチ(菅原道真)は真面目で家族思いな男性。絶体絶命の状況に追い込まれても、家族のために諦めず再起しようと奮闘します。その諦めない心と、マスコット一人ひとりに向き合い寄り添う優しさはミチの大きな魅力。CVは黒田崇矢さんが担当しており、有名な“あの”ヤクザキャラとはまた違う元ヤクザの声を楽しめます。

『プロミス・マスコットエージェンシー』(2025)

ミチはマスコットの「ピンキー☆」とともに事務所を運営するのですが、彼女とのふとした会話の中で「アンタもトキ(ミチの義兄弟)も、モテたんじゃない?」という話題になります。するとミチは「トキは何人も囲っとったが、俺はあんまり興味がなくてな」と、恋愛または女性に興味がないとの返答をします。

ミチの義兄弟「トキヒラ」 彼は人間ともマスコットとも付き合ったことがあるそう。

そして「トキと週替わりでダブルデートをしたが、誰ともうまくいかなかった」という体験談から、彼は過去デートで女性たちの期待に応えられず、遊ぶにも付き合うにも至らなかった(付き合っても続かなかった)ことがうかがえます。

また、グラビアアイドルでホステスのマスコット「凹ちゃん」とのエピソードでは、事務所の回転ベッドの上で話し合いをする一幕が。ですが、誘惑するような言動を見せる彼女に対し、ミチは居心地が悪そうです

何も“反応”しないミチを目にした彼女はショックを受け、自信を失ってしまいます。しかし後日、バーの「ママさん」にこのことを相談した凹ちゃんは、人には落とせないタイプもいるのだと教えてもらいます。

彼女はこれまで「性」を売りにする仕事に就いてきたため、ミチが反応を示さないことから自身に魅力が無くなってしまったのではないか、と不安になっていました。しかしミチは、ただ他人に性的欲求を抱かない人間だったというだけ。「ミチは壊れているわけではない」と2人はお互いの価値観やすれ違いを認め、尊重し合うのでした

ここで注目したいところは、これまでのキャラクター2人と違い、ミチは「他者に性的欲求を持ち、積極的であるという前提」から起こったズレが描かれているという点です。これは、ミチが「男性」だから起きたことであると考えられます。

男性は性的欲求を持つことが当たり前で、性的に強く相手に惹かれるもの。対する女性は性的には受け身で、恋愛的に相手に惹かれるもの。そのようにみなされやすいことから、男性は女性に比べ、恋愛よりも「性の積極性」に関する周囲からのプレッシャーを強く感じやすい傾向にあります。アロマンティック・アセクシュアルの経験や違和感は、ジェンダーによっても違いが生まれるのです。

ミチと凹ちゃんが話し合う前にピンキー☆が放った一言からも、それを感じられます。

ミチはヤクザという男社会に身を置いていたため、より「男らしさ」を求められたことが想像できます。しかし、彼はそういった「らしさ」を他者に求めることはしません。あくまでもその人・マスコットの性格や特性に寄り添い、悩みを聞いてポジティブに仕事へ活かそうとします。設定やビジュアルからぶっ飛んだゲームに見えますが、ミチのその姿勢を通じて自分自身の「仕事」について考えるきっかけにもなる作品です。

今回は3人の紹介を「恋愛的惹かれをもたない事から発生したエピソード」に絞りましたが、彼女・彼らの性格や魅力はそれぞれ違います。アロマンティックである、というのはその人を構成するほんの一部でしかありません。『A YEAR OF SPRINGS』はセクシュアリティ・アイデンティティにフォーカスした作品ですが、他2つの主題は全く別のものです。

例えば『In Stars And Time』の「ミラベル」が本棚からホラー小説アンソロジー「美男子たちと悲惨な狂気」を見つけ目を輝かせながら語る姿は、恋愛的惹かれをもたずフィクションを愛する筆者のようなキャラクターがいることに共感と喜びを感じました。しかも、暗く残酷な話が好きだなんて……!

怪物と人間のロマンスも好みだそう、わかる。

『プロミス・マスコットエージェンシー』の「ミチ」も、バーの「ママさん」のちょっと性的な話にジョークで乗るお茶目な一面を持っていたりと、ツッコミだけでなくボケにもまわれるユーモアを持っています。

ミチの見せる笑顔も素敵。

そしてこれらの3作品以外にも、今年の4月に発売された『トモダチコレクション わくわく生活』にて、恋愛対象の性別を自由に選択でき、選ばないままでもキャラクターを作成できる事が話題になりました。同性愛者やバイセクシュアル、パンセクシュアルやノンバイナリーだけでなく、アロマンティックも『トモコレ』の世界で暮らせるようになったのです。似た系統のシミュレーションゲーム『The Sims 4』でも同様に、恋愛対象と性的対象を選択できます。

『トモダチコレクション わくわく生活』(2026)

また、スマートフォン用アプリゲームの『18TRIP』にも、アロマンティックの男性キャラクター「北片來人」が登場します。

『18TRIP』(2024) 公式サイトより引用 真ん中のリーダーが「北片來人」

海外のインディー作品からはごく稀に登場するが……という印象を筆者は抱いていましたが、近年は日本でも大手ゲーム会社が恋愛的惹かれを持たない人の存在を認知しはじめ、まだ少ないとはいえ少しずつAスペクトラムのキャラクターが増えつつあるのを感じます。

Aスペクトラムに属する人たちの交流を描く『Ace & Aro: Heart-to-Heart』の発売も予定されており、Aスペクトラムを題材に取り上げたゲームも現れ始めています。(2026年7月現在では日本語未対応、こちらもdoope!で紹介されています。)

『Ace & Aro: Heart-to-Heart』発売日未定 ストアページより引用

明記されているキャラクターは少ないものの、“そう見える”キャラクターは何人か存在します。ただし後で恋愛感情を抱くことが判明することもあるため、なかなかそうとは言い切れません。他者のセクシュアリティを勝手に決めつける行為は暴力性をはらみ、差別にも繋がります。しかしフィクションのキャラクターにそうした側面を見出して親近感を抱いたり、時に救われる当事者もいます

例えば筆者が愛してやまないルーターシューターFPS『ボーダーランズ2』のプレイアブルキャラクター「Zer0」は、銀河史上最も有能なアサシン。その正体は不明で、人間かどうかも謎に包まれています。細い身体をモノクロのスーツで覆い、4本の指で刀を振り回す彼(性別不詳)のクールな姿に筆者は大興奮。性能も読まず見た目だけで使用を決めた、シリーズの中でも特にお気に入りのキャラクターです。顔の前にホログラムを投影し「:)」「< 3」といった表情を見せるチャーミングさもたまりません。

『ボーダーランズ2』(2012) 大器晩成型なため、終盤までは苦戦を強いられるキャラクターでもある。
「Borderlands 2 Game of the Year Celebration Video (Unedited)」より引用

Zer0は会話のほとんどを俳句のリズムで話すという、一風変わった話し方をするキャラクターです。そんな彼は短編DLCの『Mad Moxxi と結婚闘争行進曲』内でこのようなやり取りをしています。

「戦いと 暴力こそが 我が伴侶 他にはなにもいるものはなし」

強敵と刺激を求め惑星「パンドラ」へ向かい、「ヴォルト・ハンター」になった彼が最も愛するものは“戦い”。それ以外は必要ない、と言うZer0には痺れました。まあ、続編の『ボーダーランズ3』で彼はNPCキャラクターとして登場し、とあるキャラクターに一目惚れしてしまったのですが……。

直近の作品では、SFアクションアドベンチャー『プラグマタ』の主人公「ヒュー・ウィリアムズ」にも、そのような台詞がみられました。ヒューは月面で出会ったアンドロイドの少女「ディアナ」を最初は警戒しますが、共に苦境を乗り越えていくうちに徐々に打ち解け、まるで親のように様々なことを彼女に教えていく心優しい中年男性です。

『プラグマタ』(2026) 左側が主人公の「ヒュー」

本作ではヒューとディアナの交流が細かく描かれており、道中や拠点で多くの会話を聞くことができます。その中のひとつに、このようなやり取りがありました。

ディアナ:ヒューは地球に子供がいる?

ヒュー:いや? 子供はいないしそもそも結婚してない

ディアナ:やっぱり そうだよね

ヒュー:どういう意味だ? 俺は自分の人生に満足してるぞ

ディアナ:え? 前に「子供は苦手だ」って言ってたから

ディアナ:私悪いこと言った?

ヒュー:いや 言ってない…

ヒュー:大人になると気になることが増えるんだ 忘れてくれ…

『プラグマタ』は台詞が豊富なゲームなので、もしかしたら筆者が見ていない台詞に彼の恋愛観や好みのタイプについての話があるかもしれません。それでも「結婚はしていないが自分の人生に満足している」「大人になると気になることが増える」という台詞は筆者にも共感できるもので、「ヒューもそうなんだ」と印象に残りました。「やっぱり」と言われた時に一瞬ムッとしてしまうのも、何を言われるか先に考えてしまったから出た言葉なのだろうと想像できます。

孤児だったヒューは養子として育てられながら「普通が何かはわからんが愛情はたっぷり注いでくれた」と両親について優しい声でディアナに語ります。その受けた愛情をもって彼女に接するヒューの背中は、とてもあたたかく見えました。

「明言されていない、“そう見える”キャラクターはいる」と述べましたが、筆者の考えとしては必ずしも「アロマンティックである」とハッキリ公表して欲しいわけではありません。このように恋愛や結婚への興味の無さに触れながら、その上で生き生きと動いてくれるだけでも親近感や元気、勇気をもらえます。社会の恋愛至上主義・異性愛規範的価値観が変わっていけば、恋愛を必要とせずとも生きがいや楽しみを持ったキャラクターがもっと生まれ、そして私たちも、そんな規範に囚われずに生きていけるはずです。


マイノリティに対してよく目に言葉に「こういう奴らは遊んでないくせに文句だけは言ってくる」「思想を押し付けている」といった言葉があります。しかし現に、こうして毎日ゲームを遊んでいる「恋愛的惹かれをもたない」人はここにいます。別の世界に住んでいるような存在ではなく、普通に生活しています。 マイノリティ「が」ゲームを遊んでいるのではない、ゲームを遊ぶ人の中にマイノリティも存在するのです

恋愛が主題ではないゲームに「恋愛的惹かれをもたない」キャラクターが出てきたらとても嬉しい。だって私たちは現に、悩みながらもそれとは関係なく楽しく生きているのだから。ヘッドショットで敵の頭を楽しそうに吹っ飛ばす、最高にクールでイカすキャラクターが恋愛的惹かれを持っていなかったら最高だ


参考文献

・三宅大二郎・今徳はる香・神林麻衣・中村健 2024「いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと」明石書店

・松浦優 2025「アセクシュアル アロマンティック入門 性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち」集英社新書

・キム・ジヘ 著 尹怡景 訳「差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章」大月書店

・三宅大二郎・今徳はる香・岩﨑德子・神林麻衣・田中裕也・中村健 2025「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2024調査結果報告書」As Loop.

・三宅大二郎・今徳はる香・岩﨑德子・神林麻衣・田中裕也・中村健 2025「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2024概要報告」As Loop.

・AセクAロマ部

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(価格・在庫状況は記事公開時点のものです)
ライター:もぐ水,編集:みお

ライター/カントウ25区 もぐ水

主にアクション・シューター・ADVなどジャンル気にせずいろいろ遊びます。 サウンドがカッコいいゲームやロボットが出てくるゲーム、血みどろなゲームが特に好きです。

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編集/Game*Spark共同編集長 みお

ゲーム文化と70年代の日本語の音楽大好き。人生ベストは『街 ~運命の交差点~』。2025年ベストは『Earthion』。 2021年3月からフリーライターを始め、2025年4月にGame*Spark編集部入り。2026年1月に共同編集長になりました。

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