責任の最終防衛ライン

たとえばあなたがコンビニ店員として雇われていて、法律違反とまではいかないまでも無理なクレームをつける顧客がやってきたとする。その対応は職務マニュアルにも載っていないし、法令によっても罰せられない。責任を負う対象が明確でなく、なんらかの被害を自分や仲間が被る状況に陥った際、いますぐにこの状況を解決したいとあなたは欲するだろう。
規則や法には解釈と改正の余地がある。だが、差し迫った状況下でそれを待つ余裕はない。多くの現場において、ルールが改められるのは事後的な処理だ。そしてほとんどの人びとはルールを直接変えられる立場にはない。被雇用者としてコンビニで働く者の決断する権利は大きくない。少なからぬ人びとはそのギャップに息苦しさを感じている。そして人は、決断者を求める。

筆者もそうだ。日々の生活や職務において責任の所在や誰が決定者なのかはっきりしていてほしいと思うことは多い。だが自分の裁量と責任のもとすべて決断できたらよい、ということを思っているわけでもない。私たちは、責任を負ってもらえる誰かや何かを探している。さきほどのクレーマーはやがて「責任者出てこい」というお決まりの言葉を発するかもしれない。こうした決まり文句も、おそらくおなじ思考様式に基づいて発せられる。

責任はフィクションだ。見えも触れもしない。私たちは本来、そんなものに付き合いたくはないはずなのだ。それでも人間集団は、どこかに責任があると信じる限り、それに向き合わずにはいられない。そして責任を神、あるいは神の代理である為政者に求め、社会に属する個々人に求めてきた。ヴェシネスが「神」になろうとするのもそれが理由だ。
100個の結末に至るルートのなかで、澄野拓海はどちらかを決断することを強いられている。彼は時を遡るという決断をした時点で、以後責任の最終地点を死守する。

愛着のある場所を守りたい、それ以上なにも変わってほしくない、変えたくない、ひとところに定住する者であれば、少なからずそのように思うことがある。そうした人びとは物理的な空間と記憶とを結びつけ、それらが侵されることに抵抗する。記憶が侵されれば、そこに依って立つ自分は変質せざるを得ないからだ。そして侵されたと認識した瞬間、それまでの自分は霧散し、もう掴めなくなっている。だからこそ、これ以上変わりたくはないと頑なになる。抵抗し、連続性を回復しようとする防衛機制が駆動する。誰しも、大切な記憶が侵されるような経験など起こらない方がきっと幸せに違いない。

特防隊員たちにとって、そんな大切は記憶そのものが嘘であった。防衛すべきものはフィクションであった。記憶を侵され、抵抗するという人間らしい尊厳も、人類によって設計された計算づくの単なる作用であった。大切だから守りたいのではなく、存在する前から守るべきものが決定されていた。これを踏まえれば、歴史・慣習・伝統といったものは、人を都合よくコントロールするためのフィクションで、無意味で、個人を蔑ろにするものだ、そのように言うこともできるのかもしれない。

だがフィクションかフィクションでないかという問いじたいはもう重要ではない。それは本作の物語の途中で済まされている。それどころか、『HUNDRED LINE』が世に出る以前に過ぎ去ったものですらある。
かつて小高の手がけた『ニューダンガンロンパV3』がおこなったのは「個性的な」キャラクターの自己同一性、フィクションの無化だった。そのエンディングは学園という自己を規定する壁が崩れ去り、キャラクターの外面が無化されたところで終わっている。この終幕が当時賛否両論となったことを筆者は記憶している。

とはいえ、『ニューダンガンロンパV3』の結末はあの作品やシリーズにおける希望になりえたのかもしれない。それは言うなれば自分からの脱出、リスタートのための白紙化だ。だが『HUNDRED LINE』ではそれをしない。たとえ自分たちが役割を演じる存在で、どんな選択も必然でしかなかろうと、そのように生を受けた偶然のなかで自分自身を肯定する。ループするほど強烈な自己にはおよそ他所からの人為が入り込む余地などない。そうした自決こそが本来的に運命と呼ばれるものだ。

特防隊はみなループしている。たとえ命を失っても素材となる自らの死体に血液さえ残っていれば何度でも復活する。保存されたデータをもとに肉体を置き換えるそれは、本当に死ぬ前から連続したおなじ自分だといえるだろうか。

「SF編」の澄野と雫原は特防隊全員の生存によるループからの脱出をめざす。だがかれらはループしている間も、脱け出したあとも、まったく別の存在になりはしない。あくまでも自己同一性・連続性を信じ続けている。そもそも結末を迎えたからといって、本当にループから脱け出していると誰に言えるのだろうか。

『HUNDRED LINE』の膨大なルートと「100個の結末」は、それぞれを見比べて特防隊の物語がどれだけかけ離れたものになってしまったのかを楽しめるつくりになっている。その一方、どれだけのルート・結末を辿ったとしても、かれらがかれらである同一性はプレイヤーに認知され続ける。キャラクターの肖像はループするごとに塗り重ねられ、余白は無くなり、やがてかれら固有の「個性」がプレイヤーのなかに形成される。それは『ニューダンガンロンパV3』においてキャラクターたちがプレイヤーのもとから離れていったこととは対照的だ。

澄野拓海がループし続けるのは、たとえ自分たちが目的を持って生み出された作りもので、特防隊がただの設定で、『HUNDRED LINE』がフィクションであったとしても、彼にとってそれらは起点を見出すことのできない歴史になってしまっているからだ。澄野がループする原動力は後悔だが、それは遡行不可能な歴史という認識のみが可能とする。彼は後悔することができる。それは責任を持っていることにほかならず、「人間」になれなかったSIREIとの違いなのではないか。彼が本当に囚われていることは生きることだ。『HUNDRED LINE』のループに、科学的な厳密性はみられない。それは奇跡的な異能力「我駆力/異血」という作中設定と、非常に主観的な個人の決意によって成り立っている。

言い換えるなら『HUNDRED LINE』は、歴史はフィクションかもしれないが、それをなかったことにできるのか?という『ニューダンガンロンパV3』が描写しようとしなかった部分を描いたといえる。いまの自分以前の歴史が嘘であったと知らされたとしても、その嘘が現在の自分を構成している以上、それはもはや単なる嘘でも本当でもない。それはヴェシネスが排除しようとしてしきれなかった、信仰のようなものである。

私たちはフィクションを信じているわけではない。それでも、フィクションがフィクションとして在ることを信じている。フィクションに臨むとき、私たちはそういう態度を取る。ゲームやフィクションは無意味かもしれないが、そんなことはもうとっくの昔に筆者も、読者の皆も通り過ぎた問題だったはずだ。そんなことは言われなくてもわかっている。楽しいからやっている。そして『HUNDRED LINE』がフィクションで、特防隊が虚構で、澄野拓海が架空の人物であることなど一切棚上げして、さも知っている風に語ることができる。私たちはその歴史を知っている。

法や歴史や責任は、言葉の上ではフィクションとして存在しないと否定することもできる。実在を確かめられない。それらが人びとに認識される瞬間をシュミットは例外状態と呼んだ。筆者が身の回りに感じていたのは、歴史が剥き出しになり、責任が問われ、決断を求める声だった。そうした声は、まだ例外状態と呼べるほどではないと思いたいが、もうそうではないのかもしれない。繰り返しになるが、例外として認識されていた非常や異常が慣習化されてしまえば、もはや日常と見分けが付かなくなるからだ。
一所懸命――防衛戦線“異常”あり

特防隊の子どもたちは、この世界における歴史の連続性すべてから断絶されている。かれらが異能の力を使えるのは人類がフトゥールムから奪取した「赤子」の血を受け継いでいるからだ。それは被害者たるフトゥールムの血脈を持ちながらも、虚偽の記憶によって加害者である地球人類の側に立たされていることを意味する。

生まれる前の、あずかり知らぬ過去の加害/被害と、生まれてから行為した・された加害/被害。そのどれもが、かれらのなかに併存している。ヴェシネスによって兵器化された、かつて「人間」であった侵攻生たちは、100日間の終盤になると嘆きの声をあげはじめる。ひたすらに戦場にこだましつづけるその声が、特防隊とプレイヤーを立ち止まらせる。それはすべてのルートと結末を辿ったとしても、なんら救いを与えも解決もしない。

人間にとって、加害と被害の責任はそう簡単に無化できない。もし特防隊が兵器というモノであるなら、そこに責任は生じえないし、負う必要もない。兵器の使用者は人類だ。だがその責任は霧散し、本来それを扱えないSIREIの手からは滑り落ち、行き場を失くす。霧散した責任は目に見えなくなっただけで、消えたわけではない。責任は再び結晶化する。責任は特防隊に流れ着き、澄野拓海に決断を迫る。

だがかれらはただ責任を負わねばならないから負ったのではなく、自らの意思で責任を負う決断をした。選ばされたものではない、かれら自身による「人間」であることを守るための自決。それは勇気にあふれた、「人間」の尊厳を守る行為に他ならない。

「だけど、最後のこの選択だけはオレ達自身が自分で選んだって胸を張って言える。」

筆者はその決断を否定しようがない。しかし、それはなによりも悲哀でしかないとも感じる。まさしく一所懸命に生き、かれらは死の側に振れた。私たち人類はかれら人間に対し、そのようなルートを選ばせることしかできなかった。若い身空のかれらの青春、その散り様のカタルシス。こうも真剣にエンターテインメント的な死に様をみせられたなら、私たちはそれをどのように受け取ればよいのだろうか。

霧藤希という唯一の人類。彼女は特防隊として設計された者ではない、人工天体で生まれた人類のひとりだ。彼女は特防隊としてのかれらが生まれる前から、かれらを人間として見つめていた。そして100日間をともに過ごし、戦った。澄野にとっては「樫宮カルア」というフィクションを作り上げる契機となる、唯一リアルな人間だった。人類は特防隊に責任を負わせてしまった。フトゥールムを虐殺してしまった。その責任を彼女だけが、ただひとり「人類」としてともに引き受けようとしている。霧藤希はたしかに生まれながらの特防隊ではなかった。だが人工天体の人類とも、フトゥールムとも異なっていた。それらすべての例外として彼女は生きている。

後悔は先に立てないか――愚者は経験に学ぶ

筆者はシュミットのことを掲げて本記事を書きはじめた。しかし最終的にはシュミットの論からはかなり遠のいてしまったかもしれない。専門家ではない筆者が述べることは周回遅れなのかもしれない。またゲーム内容の言及に関しても、メインライターを務めた打越鋼太郎の過去作品への掘り下げ、「真相解明編」「SF編」以外のシナリオについての言及などに、不足があったかもしれない。AIについて述べた項目もあるが、むろんこちらも筆者は専門ではない。筆者自身シュミットについて理解を深めるため、その著作や関連書とともにChatGPTを併用したが、記事本文や構成などにはChatGPTをはじめ生成AIを使用していない。本記事は筆者が自身の意思で情報を選び、執筆している。なにか明確な誤りがあればその責は筆者に生じる。

「戦争」とよばれるものは、いまこの文章を書いている瞬間も各地で継続しているし、これからも起こるだろう。長らく書いてきた記事をそう結ぼうとしたところで、アメリカ軍とイスラエル軍によるイラン攻撃が報じられた。これは「戦争」なのか。筆者にはわからない。そこにいない。考えても堂々巡りだ。ただ、いいことではない。

筆者にとっての、あるいは日本にとっての「戦争」は、もはやほとんどフィクションとしてしかイメージできない80年ほど前の戦争だ。そこで語られていることが、どこまで嘘でどこまで本当かわからない、いくらかは作りものも混じっているのかもしれない。ただ、たとえそれが真実そのものでなかったとしても、少なからずリアルを模しているはずだ。私たちは生まれる前に起きた真実やリアルには遡行不可能だが、その模造であるフィクションによってタイムリープできる。

「政治的なもの」に戸惑い、自分もそうなりつつある筆者は、2025年に『HUNDRED LINE』をプレイしながら、20世紀へと思考を遡らせることになった。それは日本が戦争を経験し、シュミットが生きた時代だ。シュミットがヨーロッパ公法的で、大地に根ざした、統一的な国家秩序を理想とした根底には、第一次世界大戦における自国の状況への失望や苦しみがあったからなのではないか。そうした経験が反動となり、彼は自身の法理論を用いてナチス・ドイツを支え、やがて「起こるはずのない」第二次世界大戦へ突入していった。それは本当にシュミットが望んだもの、理想だったのだろうか?
そうした時代に対して抱かれるイメージが、筆者のなかに警報を鳴り響かせ、文章を書かせている。それが筆者の空耳だったならばそのほうがいい。警報が解除されて「何も起きなかったね」と日常に戻るに越したことはないのだから。

決断が必要な時はたしかにある。それを不要などとは到底言うつもりはない。私たちは、決断する誰かを求め、決断を下し、時に決断を下される。そのどこに転がるかは誰にもわからない。うまくいくかもわからない。差し迫る現在の、リアルな決断を前にしたら、過ぎ去った過去の歴史などフィクションでしかなく、それが果たす影響などわずかなのかもしれない。

ただ私たちは後悔できる。知らない記憶のなかに、存在証明できないフィクションのなかに、別の誰かの後悔を見出せる。そして後悔をした時点で、自分も既に責任を引き受けている。いずれ私たちが残した後悔も、いつかどこかの誰かをタイムリープさせるかもしれない。人類が生きることに囚われる限り。

私たちは無数の日々を忘れない。日常も異常も忘れない。いまどんなルートにいて、どんな結末に向かっていたとしても。

引用:
(1)宮内庁 終戦の玉音放送
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html
(2)コウメ太夫@dayukoume Xアカウント 2016年8月31日のポスト
https://x.com/dayukoume/status/770909461611327489?s=20











