カール・シュミットから考える『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』の「戦争」と「政治的なもの」【リリース1周年特集】 3ページ目 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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カール・シュミットから考える『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』の「戦争」と「政治的なもの」【リリース1周年特集】

決断、味方/敵、例外……『HUNDRED LINE』のなかに見た20世紀の戦争。法哲学・政治学の大家 カール・シュミットの著書を傍らに本作をプレイしたあるプレイヤーの記録。

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カール・シュミットから考える『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』の「戦争」と「政治的なもの」【リリース1周年特集】
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象徴(マスコット)に決断は下せるか?AIとしてのSIREI

特防隊の司令塔然とした役目を持つAIロボット「SIREI」。こうしたゆるキャラ然としたマスコット的存在は、「ダンガンロンパ」シリーズの「モノクマ」を筆頭に小高和剛氏の携わるゲームにおいて、まるで不文律のように登場し続けている。

強烈な個性を有したこれらマスコットは、ゲーム内では自らの目的のために主人公たちを管理下に置いたり、引っ掻き回したりして物語を進行させる役目をもつ。そして私たちプレイヤーにとっては、そのゲームじたいを代表する象徴、まさしくマスコットとして認知される。

SIREIは主人公たちに戦いを命じ、服従させる力を持っている。ひとつは暴力であり、特防隊員たちはSIREIに生殺与奪を握られている。SIREIに刃向かえば即座にかれらの体内に埋め込まれた爆弾が起爆する。もうひとつが知識の独占だ。かれらが100日間の学園防衛を行うのは、自身に降りかかる火の粉を払うためだけではない。かれらの故郷である「東京団地」へ帰還する術をSIREIが知っているからである。特防隊員たちは、自らの肉体と、自らを形づくる記憶を人質に取られている。SIREIがこうした「力」を持っているという点は過去のマスコット、特にモノクマとそれほど変わらない。

だが一方でSIREIがモノクマと異なるのは、かれが徹底的に人類全体に尽くすために生まれた存在であり、あくまでその目的のために特防隊員たちに対して非人道的な扱いをするという点だ。SIREIは危険ではあるが絶対的に君臨してはいない。ロボットであり、AIの思考を持つかれだが、人類全体に対する愛は本物だと主張し、その敵である侵攻生の殲滅を掲げる。だがSIREIの力は儚い。じっさいには特防隊員たちを完全には管理しきれず、その力を振るって人類の命運を決することもできないからだ。

なぜSIREIはこのような振る舞いをするのか。それはその正体が、人類全体の意思を代表するAI搭載ロボットだからだ。SIREIは、衛生軌道上に浮かぶ人類の居住スペース「人工天体」の人類によって造られ、かれらの象徴として100日間に及ぶ作戦を立案・実行している。人工天体の人類のほとんどは特防隊や作戦のことを知らずに生活している。一方でこの作戦は、人類の無意識的な民意が反映されたシミュレーション結果をもとに実行されたものだという。そこには個々人の「人間」の選択はない。

SIREIは『1』の物語序盤で破壊されてしまう。『2』の「真相解明編」では澄野の活躍によって難を逃れるが、進むシナリオによってはまた破壊されてしまうこともある。SIREIの破壊は、一見すると特防隊員たちに自由を与えるように思える。だが彼が知識を独占したまま消えされば、澄野たちの抱いた、自身と世界に対する疑問が晴れる契機は訪れない。SIREIは危険で厄介で、なによりうざったい存在だが、その欠如が特防隊員たちの苦しみを必ずしも減らすわけでもない。SIREIがいなければたどり着けない100日目もあるのだ。

SIREIに出来ないことは「決断」である。なぜならAIであるSIREIには責任が負えないからだ。なんらかの判断を決断と呼ぶとき、選ばれた未来において責任が発生する。それは後悔してしまう可能性ともいえる。人間は現在・過去・未来というふうに時間を認識し、その重みづけが状況に応じて常に変化している。AIは後悔をしない。ただある規則の成否に応じ、判断が履歴として残るだけだ。現在・過去・未来はフラットどころか、おそらく区分けそのものがない。その成り立ちからして、そもそもSIREIや「人類」の意思に対し責任を帰属させることは困難だ。

SIREIはキャラクター化されており、まるで「人間」のような素振りをみせる。時には後悔しているようにもみえる。そこに意思があるかないかの判別は難しい。ただ、責任を持てないのはSIREIの問題ではなく、人間側の問題だともいえる。人間はAIや思想のようなモノや全体を決断の最終責任者としてみることができない。人間は固有の人間に対して責任をみる。

SIREIは炎の少年の親がわりとして彼の世話をし、内心(?)では「シオン」と名付けていた

おそらくいま私たちが生きている世の中はおおむねそうだし、『HUNDRED LINE』の人類もそうなのだろう。人工天体の人類は「決断」の責任を宙づりにした。こうして誰ひとり「決断」ができなかったために、その責任は澄野たちに流れ着く。ゆえに澄野は『1』において悔恨し、『2』で決断と責任を担うことなる。それが彼をあるときは救い、あるときは苦しめる。

個人は決断を間違う。間違った、と人は認識する。だから人間は良くも悪くもやり直せる。人々は個人以外の、人類全体の決断の象徴としてSIREIを作り上げた。だが、決断はそもそも「人間」ではないものには扱えない概念だった。SIREIは「人類」を愛するよう設計された。にもかかわらず、責任を負えず、決断も下すこともできない。目的を持って作られたのにそれを果たせない。SIREIはあわれな機械だ。そしてかれもまた特防隊のひとりであった。ただこれも、筆者という人間がかれに対して抱く、勝手な想像なのかもしれない。

警報の記憶――異常と日常の境界

このゲームは「日常」からはじまる、と筆者は最初に記した。それは澄野拓海の記憶のなかの風景、彼が戦う理由そのものだ。自宅で朝食をともにする母と、幼なじみの樫宮カルア、彼女と登校する「東京団地」の街並み。冒頭のムービーシーンで描かれるのはあまりにもありきたりな、現代の日本を舞台とした、フィクション作品の日常とほぼおなじにみえる。

だがしばらくムービーをみていると、プレイヤーはある違和感に気づくはずだ。東京団地には空がない。空のようにみえる壁に覆われている。そして我々には耳慣れない警報が鳴り響く。警報の音が苦手な様子のカルアと彼女を安心させようとする澄野。近場のマンホールの蓋を開けると、ふたりは地下へ逃げ込む。どうやらそれはシェルターらしい。多少の緊張こそあれ、その行動は速やかで大きな動揺はみられない。「これが彼らにとっての習慣であり、日常なのだ」と、プレイヤーは察するだろう。

この警報を耳にした瞬間、私たちはなにを思い出すだろうか。筆者が思い起こしたのは、震災だった。特に、2011年3月11日に発生した東日本大震災の記憶が強く思い出された。警報は、震災の記憶と強く紐付いていた。筆者は直接の被害が大きくない地域に住んでいたが、いまになっても当時ほど頻繁に警報を聞いた経験はない。だがやがて筆者は警報の音に慣れてしまい、どこか日常のように感じていた節がある。むろん甚大な被害を受けた被災地においてはまったく違うのかもしれないし、現在はこの時の感覚は薄れている。しかし地震の多い日本において、テレビで流れる地震速報や小規模な揺れに慣れてしまっている、という人は筆者を含めて決して少なくないはずだ。

だが実際にはこのムービー中の澄野の記憶は虚構でしかない。それは私たちからみて『HUNDRED LINE』がフィクションだということだけではない。この記憶は、ある人間個体を「澄野拓海」たらしめるものとし、彼を「敵」との戦いに駆り立てるために「人類」が彼に植え付けた設定なのだ。特防隊員たちはみな、侵略戦争のために生み出された兵器であり、その記憶もフィクションにすぎない。

しかしその虚構には一定のリアリティが反映されている。『HUNDRED LINE』の地球人類はじっさいに地球の地下に、東京団地という街を作り上げて暮らしていた。なぜなら地球が「世界死」と呼ばれる自死を選び、惑星が滅亡の危機に瀕したからだ。そして人類は、その生存のために人工天体という宇宙船を作り地球を脱出、その内部に再び東京団地を建設した。かれらはわずかな希望を胸に宇宙へ旅立ち、ついに地球によく似た星を見つける。だがそこには先住者がいた。

ゲームを進めていくとわかっていくが、澄野たちは「外の世界」「地球」「外国語」「人種」のような概念をおぼろげにしか知らない。それは彼らの記憶が虚構だったからというだけではない。人工天体の管理者など一部の人間を除けば、おそらくこの人類社会の一般常識がそのようなものなのだ。

澄野拓海が持つ虚構の記憶は、別世界の人々がもつ地球への想像力によって作られている。本作じたいが私たちからみたらフィクションだし、冒頭のムービーシーンにおける澄野拓海の記憶もそのフィクション内の作りものとして捏造されたものだが、そこには人工天体の人びとのリアルや理想が反映されている。そして私たちの住む日本とよく似ているが異なる日常を生み出したのは、本作のクリエイターひいては私たちの世界の想像力である。前述した警報の件も含め、だからこそ我々の世界との間にある小さな違和がより際立って感じられる。

死にゆく地球の地下にシェルターを築き、命懸けの航海に旅立つ人類。日数がカウントされる演出も含めて、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』的なモチーフを感じさせる

先ほど、本作には太平洋戦争のモチーフがあることを述べた。いまの筆者にとって、警報の記憶とは地震の記憶を呼び起こすものだ。では、「戦争」を経験した者にとってはどうだろうか。警報とは空襲や空爆など、「戦争」の記憶を呼び起こすのではないだろうか。

ここで昔話をしたい。筆者はかつて太平洋戦争における沖縄戦を経験した高齢の女性のお話を聞いたことがある。それは中学生の頃、沖縄への修学旅行で催されたものだった。戦争の語り部として我われのような子どもに話をしているのだという。女性は会場で壇上に座り、筆者たち中学生は一段低い場所で床に座っていた記憶がある。相当高齢だったこともあり、言葉は少しずつ、遠い記憶を引き出すようにゆっくり、たどたどしく語られた。

そんな折、周囲の同級生からこんなひそひそ声が聞こえてきた。「なに言ってるかわからない」「部活で顧問の中身のない話には慣れてるから」――それを聞いた当時の筆者は、なんだか怒りのような悲しいような情けないような気持ちになった。そしていま目の前で語られている記憶よりも、自らの周囲で話されたこの会話のほうに気を取られ、胸が一杯になってしまった。

その経験は、修学旅行を終えてからも忘れられないものとして残った。だがしばらくしたのち、その時感じたなんとも言えない感覚よりも「なぜ伝わらないのか」という疑問のほうが強くなっていった。たしかに女性の話はかならずしも聞き取りやすいものではなかったかもしれないし、もしかしたら沖縄と本土の言葉の違いというのも大きかったのかもしれない。筆者たちは関東から来た1990年代生まれの中学生であり、そうそう簡単に沖縄戦のことを「わかった」などとは言えないことは事実だろう。だがそれでも筆者には「とにかく大変な思いをしたのだ」ということだけはよく伝わってきた。なぜ自分と同世代でおなじ地域に住む人々なのに、それが伝わらないのだろうか。いまに至るまで考えているこの「伝わらなさ」は、本記事の出発点のひとつでもある。

もちろんそれは個人史的で、被害か加害かで言えば前者に当たるものだ。戦争の記憶・記録をもし「知識」と捉えるならば個人史でないものも求められるし、加害した側の視点も必ず必要だろう。しかし「戦争」を知るとはそれだけでできるものなのか。

筆者は戦争を知らない。それは「戦争」という状況を生きていない、体験していないということだ。それは当然いまもそうで、願わくば今後も起こらないでほしいと思う。私たちは生きていなかった過去には遡れない。だからその時を生きたものを必要とする。子どもの頃、身の回りにいた年寄りから戦災の話は聞いていたし、実家の鴨居には戦時下に撮影された出征者の集合写真が掛けられていた。私に多少なりとも沖縄戦の話が「伝わった」のはもしかしたらそうしたものに親しみがあったかどうか、ただそれだけの違いなのかもしれない。そして筆者はおそらく、テレビや映画、教科書や史跡から戦争を含む歴史上の出来事ををフィクションとして体験していた。こう言うと不謹慎に聞こえるかもしれないが、単純にフィクションとして「おもしろい」とか「興味深い」と思っていたのかもしれない。

自治体に設置されている防災行政無線(筆者撮影)

人工天体内の東京団地、それは私たちからすればフィクションであり存在しない。しかしそこには私たちの世界の「戦争」の風景がある。ここでの暮らしがどのようなものか、それは作中における捏造された澄野の記憶や、SIREIなど一部人物から語られたことからしかプレイヤーにはわからない。あくまで筆者の想像にはなるが、それでも虚構の記憶のなかにある描写は、ほぼそのまま東京団地のすがたを反映していると思われる。一般市民は情報を隠蔽され、特防隊の存在を知らずに生活しているのだという。もしかしたら統治の上でなんらかの不都合がある場合に、警報を発令することで外の情報をシャットアウトするのかもしれない。鳴り響く警報を耳にした東京団地の人びとは、記憶の中の澄野たちと同様に、その音に何の意味があるのかを知らず世の規範に習い、シェルターに身を隠すのだろう。私たちにとって異常な警報は、かれらにとって日常でしかない。

そしてこの日常/異常は変形される。学園で時報を鳴らしていたものとおなじスピーカーから警報が鳴る。それは一転、澄野らに戦いを呼びかける合図だ。いま現実感を持って迫ってくる「敵」という存在が、少年少女らの戦闘力を駆動させ、その手に刃を握らせるのだ。


ライター:林與五右衛門,編集:みお



ライター/ 林與五右衛門

2023年4月よりゲームライターとしての活動を始めました。『Fable』や『シェンムー』といったゲームから影響を受けてNPCに強い関心を抱き、彼らがゲーム内でどう息づいているのか観察しています。演劇集団ゲッコーパレードのメンバーとしても活動中。

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編集/Game*Spark共同編集長 みお

ゲーム文化と70年代の日本語の音楽大好き。人生ベストは『街 ~運命の交差点~』。2025年ベストは『Earthion』。 2021年3月からフリーライターを始め、2025年4月にGame*Spark編集部入り。2026年1月に共同編集長になりました。

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