
『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』に登場する海賊たちの描写は、その多くが海賊を語る上で欠かすことのできない「A General History of the Robberies and Murders of the most notorious Pyrates」、通称「海賊史」に基づいています。
リバタリア関連の部分はほぼ創作とされていますが、それ以外の実在人物については、日付や行動が記録をベースにしていることが明らかになっています。
出版は1724年。海賊狩りの真っ最中の執筆で、アナーキズムと啓蒙主義の仮託として海賊を描いていますが、恐らく裁判などの記録を直接調査できる人物により、想像による補完を織り交ぜた、ノンフィクションノベル風の伝記として書かれたと考えられています。
今回はオンラインで読める「海賊史」の中から、ゲーム中で描写された箇所を原文とあわせて確認していきましょう。
Reading / Legends of the pirates

《黒髭》エドワード・ティーチ
ティーチの海賊行為の中でも最大と言えるのが、チャールズタウン(現サウスカロライナ州チャールストン)の封鎖です。
黒髭の一団は人質を取って物資を要求し、その中には医薬品が含まれていました。『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』ではそこを膨らませ、ナッソーに蔓延する病気を描写しています。
Teach detained all the Ships and Prisoners, and, being in want of Medicines, resolves to demand a Chest from the Government of the Province; accordingly Richards, the Captain of the Revenge Sloop, with two or three more Pyrates, were sent up along with Mr. Marks, one of the Prisoners, whom they had taken in Clark’s Ship, and very insolently made their Demands, threatning, that if they did not send immediately the Chest of Medicines, and let the Pyrate-Ambassadors return, without offering any Violence to their Persons, they would murder all their Prisoners, send up their Heads to the Governor, and set the Ships they had taken on Fire.
ティーチは全ての船と捕虜を拘束し、医薬品が不足していたため、州政府に薬箱の提供を要求することを決定した。そこでスループ「リベンジ」号の船長リチャーズが2、3人の海賊を連れ、クラークの船で捕らえた捕虜の一人マークス氏とともに派遣され、彼らは横柄に要求と脅迫を突きつけた。
もし直ちに医薬品の箱を寄越さず、使者を無傷で帰還させなければ、全ての捕虜を殺害し、その首を総督に送りつけ、奪った船に火を放つと。
結果として脅迫は成功し、ティーチたちは無事に引き揚げていきます。その後、一度恩赦を受けて海賊から身を引きましたが、間もなくアドベンチャー号に乗り換えて再開。ノースカロライナのオクラコーク島でメイナード海尉率いる軍に壊滅させられました。ティーチは戦死し、首は船上で晒されたと「海賊史」は記述しています。

そして、黒髭は自らが集めた財宝についてこう言い残したというのです。
The Night before he was killed, he set up and drank till the Morning, with some of his own Men, and the Master of a Merchant-Man, and having had Intelligence of the two Sloops coming to attack him, as has been before observed; one of his Men asked him, in Case any thing should happen to him in the Engagement with the Sloops, whether his Wife knew where he had buried his Money? He answered, That no Body but himself and the Devil, knew where it was, and the longest Liver should take all.
彼の死の前夜、彼は私兵や商船長らを招いた宴を朝まで催した。前述の通りスループ船襲撃の報せを受けており、部下がこう尋ねた。万が一のことが起きたとき、妻は財産を埋めた場所を知っているのか、と。彼は答えた。己と悪魔以外、その場所を知る者はいない、より長く生き永らえた方が総取りだ、と。
『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』でこの「悪魔」は他ならぬケンウェイ船長でしたが、実際これが真実なのか、はったりなのか、それとも創作に過ぎないのかはいまだに分かりません。
それでもなお、一攫千金の海賊ロマンとして現在まで語り継がれる伝説。その原点がまさにここにあるのです。

《海賊紳士》スティード・ボネット
本作で最初に出会う名有りの海賊が、このスティード・ボネットです。
荒くれ者が集う海賊集団の中でも変わり者として知られており、文字通り土地持ちの「ジェントリ」で、裕福な農場主の家で育ったいわゆる「お坊ちゃま」でした。結婚して子供もいたようですが、自らリベンジ号を建造し、海賊稼業へと飛び込んでいきました。
The Major was a Gentleman of good Reputation in the Island of Barbadoes, was Master of a plentiful Fortune, and had the Advantage of a liberal Education. He had the least Temptation of any Man to follow such a Course of Life, from the Condition of his Circumstances. It was very surprizing to every one, to hear of the Major’s Enterprize, in the Island were he liv’d; and as he was generally esteem’d and honoured, before he broke out into open Acts of Pyracy, so he was afterwards rather pitty’d than condemned, by those that were acquainted with him, believing that this Humour of going a pyrating, proceeded from a Disorder in his Mind, which had been but too visible in him, some Time before this wicked Undertaking; and which is said to have been occasioned by some Discomforts he found in a married State; be that as it will, the Major was but ill qualify’d for the Business, as not understanding maritime Affairs.
《少佐》はバルバドス島で評判の良い紳士で、莫大な富の持ち主であり、リベラルな教育を受ける恵まれた境遇にあった。その境遇から言えば、道を外れる人生への誘惑は誰よりも少ないはずだった。
少佐の企ての話を聞いて、彼が住んでいた島では誰もが非常に驚いた――そして公然と海賊行為に走る前から彼が広く慕われ、敬われていたように、その後も、彼をよく知る者たちからは非難よりむしろ同情された。海賊になるという気まぐれは彼の精神の不調に因るものだと、彼らは信じていた。
その不調は悪業に手を染める前から時折傍目にも明らかであり、結婚生活における何らかの不快な出来事からきたと言われている。いずれにせよ、少佐は海事を理解していなかったので、この稼業には全く向いていなかった。

指揮官としてのカリスマ性も技量もなかったのか、航海のおおよそのことはほぼ部下が担っており、リベンジ号は間もなく黒髭の一団に組み込まれることになりました。
その後リベンジ号の指揮権は戻されましたが、恩赦を受けようとしたボネットたちから黒髭は物資を略奪。ボネットは黒髭と袂を分かったままやむなく海賊を続け、ノースカロライナのケープフィア川で捕らえられます。
そこから落ち延びたリベンジ号を巡ってケンウェイは戦うのですが、「海賊史」ではリベンジ号(ロイヤル・ジェームズ号に改名)は逃げられず、提督から派遣されたレット大佐に接収されています。

ケープフィア川の戦いでは、レット大佐側とボネット側双方が座礁して動けなくなり、数時間の睨み合いが続きました。
The Pyrates made a Wiff in their bloody Flag, and beckoned several Times with their Hats in Derision to the Colonel’s Men, to come on Board, which they answered with chearful Huzza’s, and said, that they would speak with them by and by; which accordingly happened, for the Colonel’s Sloop being first a float, he got into deeper Water, and after mending the Sloop’s Rigging, which was much shattered in the Engagement, they stood for the Pyrate, to give the finishing Stroke, and designed to go directly on Board him; which he prevented, by sending a Flag of Truce, and after some Time capitulating, they surrendered themselves Prisoners. The Colonel took Possession of the Sloop, and was extreamly pleased to find that Captain Thomas, who commanded her, was the individual Person of Major Stede Bonnet, who had done them the Honour several Times to visit their own Coast of Carolina.
大佐の兵たちに向かって海賊たちは血塗れの旗を翻し、船に乗り込めと嘲笑を込めて帽子を何度も振って誘った。それに対し兵たちは陽気な鬨の声を上げ、「すぐに話を付けてやる」と答え、実行に移した。大佐側のスループ船がまず浮き上がり(注:座礁から脱出)、より深い水域へと進むと、交戦中に大破していた索具を修理して、海賊船へ決定打を加えようと乗り込みを試みた。
ところが海賊船側は休戦旗を掲げて阻止し、しばらくして降伏を申し入れ、彼らは捕虜として身柄を明け渡した。大佐はスループ船を接収し、その指揮官トーマス船長がかつて数回にわたりカロライナの沿岸を襲撃したスティード・ボネット少佐その人だと知ると、大いに喜んだ。

捕らえられたボネットの部下として、ゲーム中に助太刀したローランド・シャープ、交戦した甲板長ペルの名もあります。
ボネットは脱獄を試みますが、その際にペルは同行を拒否しており、ボネットに思うところがあったのは間違いないようです。サリバン島に身を寄せたボネットは再び捕らえられ、1718年12月10日に絞首刑に処されました。

史書はあくまでもドキュメントであり、確たる物証ではない以上、「史実」がどこまで事実、または真実なのかは検証が必要です。
「海賊史」も、実在が確認されないミッソンとリバタリアが載っているからには鵜呑みにできません。それでも、そうした虚実の曖昧な領域にこそ、歴史のロマンが大いに膨らむ遊びがあると言えるでしょう。













