平成ゲームメモリアル第2回「本当のゲームハード戦争の時代を話そう―“ハードが無くなる”トラウマ」 2ページ目 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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平成ゲームメモリアル第2回「本当のゲームハード戦争の時代を話そう―“ハードが無くなる”トラウマ」

平成の時代で起きた、ビデオゲームの出来事についての座談会「平成ゲームメモリアル」。第2回は、数多くのゲームメーカーがハードに参入した、20世紀最後のゲームハード戦争について語りつくします!

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1995年を境に変わった、ゲームの価値観


SHINJI-coo-K末永さんはバーチャルコンソールなどで90年代のタイトルをプレイして印象に残っているものなどありますか?

末永そうですね……『ギャラガ'88』とか『PC原人』ですかね。『ギャラガ』は『鉄拳』の起動画面にそんなのあったなと思い出して、懐かしくなったのでちょろっと遊んだ感じです。


G.Suzuki『ギャラガ』と言えば、『リッジレーサー』のオープニングにもロード画面でのミニゲームとして『ギャラクシアン』が入っていましたね!しかも全部倒すとプレイアブルな車が増えるという特典付き。

末永あー、ありましたね。『リッジ』にも。


葛西祝末永さんとG.Suzukiさんが挙げられたように、PS、サターンの時代になってびっくりしたのが『鉄拳』や『リッジレーサー』のおまけとして、過去の名作シューティングが遊べたことです。「えっ?こんな隙間時間で昔、何枚も100円玉を入れたり、数千円もするソフトを買ったりしたゲームができるの?」みたいな。驚きと寂寥感が入り混じった感じがありましたよ。

SHINJI-coo-K時代を超えるぞ!っていう意志の強さ!のちの『ナムコミュージアム』シリーズに繋がる流れだったのかも知れませんね。

葛西祝当時、PSとサターンの3DCGゲームが最先端でした。だから8bitや16bitのゲームは過去のものと思われ、別物として見られるようになっていきましたね。あの頃から「レトロゲーム」という言葉を聞くようになった気がします


G.Suzuki言われてみれば、当時は世紀末で、21世紀が迫っていた状況でしたよね。「ロード時間中に、過去作に触れられる機会を増やして未来へと繋げる」ものだと感じていました。当時のゲーム雑誌でも「レトロゲーム」という単語は見るようになりましたし。

葛西祝1994~1995年を境に8bit・16bitのゲームの世界と、それ以降の世界に分かれたと思います。特に1995年は、ビデオゲームに限らずいろいろあった年ですよね。書籍やCDの売り上げも最盛期だった時代ですし、この年が区切りとして語られやすい。

G.Suzuki95年に発売された初代『エースコンバット』は兄弟でよくプレイしましたね。対戦も結構遊んでいた思い出があります。PS時代を通しで思い返してみると、『リッジ』や『エース』シリーズなど、結構ナムコ作品を遊んでいた覚えがありますね。

特に『リッジレーサー』には歯がゆい思い出がありました。小学校のころ、家族で出掛けた時に旅館のゲームコーナーへ行く機会があって、そこで『リッジ』を遊ぼうとしたんです。でも当時、小学生だった自分の身長ではあの筐体は大きすぎて、どうしてもアクセルに足が届かないためにプレイ出来なかったんです。「せっかくオリジナルがあるのに遊べない!」という。

SHINJI-coo-K1995年あたりって、たとえば安室奈美恵さんの人気でアムラーがたくさんいたり、「Windows 95」がリリースされたり、「新世紀エヴァンゲリオン」が放映されたりと、なにかと賑やかな時代だった印象があります。ゲームは『バーチャファイター2』が出たりしました(セガ党アピール)。

G.Suzuki一方で阪神大震災や地下鉄サリン事件があったりと、大きな光と共に影がありましたよね…。当時の小島監督も阪神大震災の時に神戸のスタジオが被災して大阪へ拠点を移したというのを知ったのはもっと後でした。


末永考えてみれば、自分がゲームというものに触れ始めたのも1995年くらいからでした。理由もありきたりで、親がパチンコで勝って、初代GBをもらってきたとか、そんな感じです。

SHINJI-coo-K今回もGBが……!影響力の高さをすごく感じます(笑)

G.Suzukiう、羨ましい…!

葛西祝末永さんそれはいいエピソードですね!ですが前回の座談会を思い出してくださいよ……自分はSFCを雑誌懸賞で当てたわけですよ!ゲームハード(をいかにラッキーな形で手に入れるか)戦争、ぼくの……勝ちですね。

末永(冷たい目で)それは勝てない。GBでよくわからない横スクACTやって、初代『ポケットモンスター』やって、それからSFC買ってもらって、みたいな。だいたいそんな感じの子供時代でしたね。

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《葛西 祝》

ジャンル複合ライティング 葛西 祝

ビデオゲームを中核に、映画やアニメーション、現代美術や格闘技などなどを横断したテキストをさまざまなメディアで企画・執筆。Game*SparkやInsideでは、シリアスなインタビューからIQを捨てたようなバカ企画まで横断した記事を制作している。

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