平成ゲームメモリアル第3回「インターネットにつながり始めた時代―PCゲームの潮流」 3ページ目 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

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平成ゲームメモリアル第3回「インターネットにつながり始めた時代―PCゲームの潮流」

平成の時代で起きた、ビデオゲームの出来事についての座談会「平成ゲームメモリアル」。間もなく新元号が発表されますが、第3回は21世紀初頭の洋ゲーとPCゲームの躍進を熱く語ります!

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インターネット常時接続の時代


SHINJI-coo-Kしかし、2000年に国内コンソールではPlayStation 2(※以下:PS2)がロンチされていて、後に美少女ゲームが多く移植される機種になりましたよね。

葛西祝90年代でも、PCゲームで高い評価を得たタイトルがセガサターンに移植されるケースもありましたね。菅野ひろゆきさんの『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』や、蛭田昌人さんの『同級生』、『野々村病院の人々』がリリースされたり。00年代の移植には、そうした流れも関係あるのかな……

SHINJI-coo-K初代PlayStationの話に遡るのですが、実際に菅野ひろゆきさんの『エグゾダスギルティー』が1998年に登場していますね。00年代以前からコンソールに普及する流れもあったと思います。

『PlayStation 2』

G.SuzukiPS2は2000年3月4日発売でしたよね。友人がネットでPS2を予約注文していて、その友人から発売当日に「遊ぼう」と誘われていたので、てっきり見せてくれるのかと期待して友人宅に行ったのです。

けれど時間が経ってもなかなか見せて貰えず、「もったいぶるにしても加減があるんじゃないか?」と静かな疑念を持った気持ちは忘れられません。

SHINJI-coo-Kあっ!キナ臭い流れになってきましたよ!

G.SuzukiまたPS2のネット通販も予約注文が、開始から数時間で切られたというニュースを見て、段々と「インターネット」という単語が一般にも浸透してきたなと思いました。

SHINJI-coo-Kそうですね。インターネットの普及も2000年くらいから意識されてきたことですね(胸をなで下ろしつつ)

国内の動きと海外ゲームの潮流の対比っておもしろいなと思いますよ。国内ではPS2の発売によってDVDプレイヤーの普及にも繋がりましたし、ほぼ同時期発売のDVD版『マトリックス』が大ヒットしたりと色々ホットでした。

Arkblade常時接続も一般化してきましたしね。とは言え、コンソール機でのネット普及は更に時間を置くことになるので、当時は海外PCゲームの躍進の方が著しく見えました。

G.Suzuki確かにそうですよね。ドリームキャストは標準でネットに繋げる事が出来るし、オンライン専用のタイトルもありましたけど、そもそも撤退してしまいましたし……。PS2やゲームキューブはネット接続用の機器が別売りでした。

PS2は後年発売の薄型になって、ようやくLANが標準搭載されました。一応、初代Xboxは標準で付いたんですけどね。

当時は新鮮だった洋ゲーのインパクト


葛西祝そうそう。コンソールで「洋ゲーが革命を起こしている!」と実感したのは、2003年にPS2で日本版が発売された『Grand Theft Auto III』(※以下:『GTA III』)ですね。

あれは衝撃的でした。現実のアメリカが舞台であるだけではなく、街の冷たさ、殺伐さ、インモラルさに加え、都会の外れで孤独に生きている感覚は、いまだに忘れられないですね。あとの『GTA』シリーズと比較しても、唯一無二だったと思います。

PS2でも展開されたことで、ゲーマーじゃない友達でも遊んでたくらい、インパクトがありましたよ。『GTA III』を遊んだ当時は高校生で、学校でクラスの人間が「“メッタ殺しタイム”どうクリアすんの?」とか、「赤いジャケットの女にクラクション鳴らすと乗せられるんだよ!それでな……」みたいに話していたんです。学校の休み時間で洋ゲーが話題になった、唯一の思い出でしたね。

『Grand Theft Auto III』

Arkblade近代的な「オープンワールド」という概念を大きく日本のコンシューマーに伝えた作品だと思います。海外版でリリースされたPC版は2002年ですけれども。

SHINJI-coo-K洋ゲーのクオリティに対して「あれ?ちょっとすごいんじゃないか?」という印象をみんなが持ち出した時期のように思います。

G.Suzuki確かに国内タイトルとは一味違った感性や表現から、ゲーマーから一目置かれていた印象がありましたね。『GTA III』はゲーム雑誌の洋ゲー特集で「こんな自由度の高いゲームがある!」という触れ込みで2001年に紹介されたことが、初めて知った切っ掛けでした。

そんな『GTA III』が2002年に日本語マニュアル付き英語版だけど、国内で発売されていると聞いて、いても経ってもいられずに買いに行ったのはよく覚えています。

『Tribes 2』

Arkblade90年代後半に現実味を帯びた「なんでもできるゲーム」が、PCの性能の進化と相まって、あるラインを越えて本格化していくのが00年代前半の大きな出来事だったのかなと。

それは先程話の出た『GTA III』もですが、『Operation Flashpoint(現Arma: Cold War Assault)』や『バトルフィールド1942』(※以下:『BF』)、『Tribes 2』なども多大なインパクトでした。大半の乗り物が操作できる大規模シューターという。

特に『Operation Flashpoint』はシム的な流れもゲームデザインにあったので、デモ版の時点で徹底的にユーザーに遊び尽くされました。早期アクセス的なものを除けば、今でも同レベルでModなどの作成が行われ楽しまれた“デモ版”は聞かないですね……。

『Arma: Cold War Assault』

G.Suzuki『Operation Flashpoint』は凄かったですよね。2001年のPC雑誌に付属されていたCD収録の体験版からその存在を知りました。マップは広大だし、車には乗れるし、敵は強いし見えないし、なんとか敵陣を突破しても乗っていたヘリが撃墜されるし……その流れを楽しめる体験版は『OFP』の魅力を全て満載していました。体験版を何度もプレイしましたよ。

後々PC/洋ゲー通販サイトで、拡張全部入りを買って『Arma: Armed Assault』がリリースされるまでAddonとMOD(※)で何年も通してプレイしたのを覚えています。また国内Modder開発による自衛隊MODの「Battle Over Hokkaido」は、日本語フルボイスのオリジナルキャンペーンもあって、とても豪華な作りでしたね。

※『Arma』シリーズの場合は少し独特で、トータルコンバーション的なものをMOD、ユニットなどを単体だけを追加するユーザー制作コンテンツを大体Addonと呼ぶ。
G.Suzukiところで『GTA III』米国でのPS2版発売は、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件から少し経った後の2001年10月22日発売なので、テロの影響もあって途中で色々な修正が施されました。

事件の影響を受けて演出などを変えざえるをえなくなってしまったタイトルは結構多いですよね。『METAL GEAR SOLID2』(※以下:『MGS2』)で世界貿易センタービルが映り込むシーンの削除、『エースコンバット04』のCM等の自粛、そして先の『GTA III』など……。またテロ当時は、1週間以上テレビの特番でも911関連のものがずっと流れていました。そして、ほどなくしてアフガニスタン紛争が始まったのも覚えています……。

『METAL GEAR SOLID2』

葛西祝あの事件の影響は大きくて、911を思い起こさせるゲームのリリースを、メーカーは次々と自粛していましたね……

次にコンソールで驚かされたのは『ヒットマン:コントラクト』ですね。ステルスアクションの中でも変装をメインにしたゲームデザインの良さ以上に、ものすごく背徳的な世界観だったのも印象深かったんです。「殺し屋1」みたいな雰囲気すらあったというか。

『コントラクト』から入ったせいで、『ヒットマン』シリーズ全体を残虐や倒錯のイメージで捉えていたんですよ。あとで第2作目の『ヒットマン : サイレントアサシン』を遊んだら忍者が出てきて「なんだこれ」ってなったり(笑)

『ヒットマン:コントラクト』

SHINJI-coo-K『ヒットマン』!初代なんてめっちゃ暗いイメージで病棟から始まりますからね!それなのに後のシリーズはバカゲーといってもいいんじゃないかってレベルで笑いを仕込んでくるように(笑)

Arkbladeただ初代は初代で、ステルスしないで大暴れするシーンが結構多いという。

葛西祝PS2では洋ゲーの大ヒット作の他、PCゲームの移植も目立ってきていて、だんだん日本のソフトにはない存在感を見せつけるようになってきたんですよね。『メダル・オブ・オナー』シリーズとか。

G.Suzukiそうですね!EAの存在は昔も大きかったと思います。自分が初めてFPSに触れたのはPS2の『メダル・オブ・オナー 史上最大の作戦』からで、とても面白くて驚きました。微妙にFPS酔いしそうになりましたが、深夜までプレイしてなんとかクリア出来たのが思い出深いですね。

また「007」シリーズをベースにしたオリジナルストーリーのFPS『007 ナイトファイア』も面白かったですね。N64の『007 ゴールデンアイ』には触れる事が出来ませんでしたが、『007 ナイトファイア』で「自分がジェームズ・ボンドになって主観視点で秘密道具や銃を使って遊べる!」という要素に興奮しました。

PCゲームへ本格的に入ったのは2004年からでしたが、EAのPC/コンソールの展開はなかなか上手かったと思います。PCは『メダル・オブ・オナー アライドアサルト』、コンソールは『史上最大の作戦』とコンテンツの内容が全然違うし、なおかつ内容も繋がっていることに唸らされました。

『メダル・オブ・オナー アライドアサルト』

Arkblade今でもコンソールとPCには操作性にギャップがあります。そのギャップを埋めるユーザビリティの獲得や、最初から差異が出にくいように万人向けに調整されたタイトルが作られてきたのもこの時期ですね。もちろんその過程では多くの反発や試行錯誤もあったわけですけれども。

Deus Ex: Invisible War』あたりのタイトルは、ユーザーから最適化不足が指摘されていたり、コンソール機に合わせてPCゲームのシリーズにあったゲーム性を損なってしまっていないかといった意見が強かった印象を受けます。それを改善するための試行錯誤の結果が現代の洋ゲーの非常に親切な内容に繋がっている部分があると思います。

SHINJI-coo-K敷居を下げていく流れがあったというか、もっというとゲームパッド向け操作に最適化されていく流れも手伝っているかもしれませんね。

Arkbladeその流れもあったので、近代の「洋ゲー」は、コンソール主流だった日本のユーザーに受け入れられるのに十分だったのかなと。

小さなものから大きなものへと移り変わる時代


SHINJI-coo-Kしかし、国内でギャルゲーブームが終わったのに対して個人的にもったいない感じがあって。流行りが終わること自体はいいんですが、それにしたって姿をくらましたかってくらい、とりわけ攻略や育成要素が売りのものを見なくなって。そうやって淘汰されたものがある中で、洋ゲーであったり写実性の高いものが栄えたりしましたね。

G.Suzukiそうですね。PS2時代に入ると、次世代に繋がらなかったシリーズやジャンルも多かったように思えます。一方で『鬼武者』や『侍道』シリーズ、『真・三國無双』シリーズ、『メダル・オブ・オナー』などの歴史をテーマにしたヒット作が多かった印象を受けました。

『鬼武者』

葛西祝00年代に入って、旧来のアーケードゲーム的なビデオゲームの価値観は一度死んだかと思います。PSの全盛期に到来した、映像や音楽と絡み合うマルチメディア時代とも相まって、ビデオゲームを作品単体として捉えることが強くなった。難度の高いゲームに、何枚も100円玉をつぎ込んで挑戦したり、格ゲーで競いあったりするよりも、ビデオゲームを映画や長編ドラマのように見ていましたよね。PCゲームからコンソールに移植されてきた洋ゲーは、映画的な演出のムービーを多用せずに、カットシーンをインゲームで実現しているタイトルが多い印象がありました。

Arkbladeインゲームのカットシーンと実際のゲームプレイとのシームレスな融合は大きな特徴ですよね。

G.Suzuki『MGS2』や『MGS3』、『ファイナルファンタジーX』などのカットシーンは顕著ですよね。登場キャラクターの3Dモデルの顔をアップにしても耐えられるほど描画力が上がっていますし、表情がわかるから感情移入もしやすくなるという。それに加えて、『鬼武者』や『プロジェクト・ミネルヴァ』のように実在の俳優をゲームに取り込んで表現するゲームも増えてきました。

葛西祝『プロジェクト・ミネルヴァ』って藤原紀香が主演でしたよね!懐かしい……女優出演の意図がよくわからないタイトルが、けっこうありましたよね。『michigan』でインリン・オブ・ジョイトイが登場していたり。

SHINJI-coo-Kグラフィックの進化と共に写実性が重んじられる時代になりましたよね。PS2のマシンパワーも相まってコンソールでも実現できるようになりましたし。

葛西祝さっきArkbladeさんも語られていたみたいに、PCゲームがコンソールの展開も意識していたことで、すごく遊びやすいゲームデザインになっていきましたよね。
それに合わせて、日本のゲーム文脈とは少々違うものが出てきたと思います。特にオープンワールドはあらゆるゲームメーカーにとっての、ゲームデザインのテーマになったというか。日本国内に絞れば、2007年にリリースされた『The Elder Scrolls IV: Oblivion』(※以下:『Oblivion』)日本語版リリースあたりから、国内でもそのテーマは大きくなっていった印象がありますね。

『The Elder Scrolls IV: Oblivion』

SHINJI-coo-Kいかに大きなものを作るかということに注力されていて、それが実際に結実したんですよね。2000年初頭からの流れは「小さなものから大きなものへ」という時代だったのかもしれません。

G.Suzuki小さいものから大きいものへという流れでは、ゲームプレイが長時間になる傾向があったように感じました。最近PS4移植版の『エースコンバット5』をプレイしたのですが、ひとつのミッションが長いだけではなく、その数も合計27もあって、さらに追加ミッションもあるんです。1周だけのプレイならともかく、周回か時間をおいて再プレイするにはかなり気合いを入れる必要があります……。でもその分ストーリーはかなり丁寧に描かれていました。

葛西祝『エースコンバット』シリーズもPS2からドラマ性が高くなっていきました。「3DCGのフライトシューティングを遊べる」だけでよかったシリーズ初期から考えれば、本当に世界観と物語の時代に変化していきましたよ。


《SHINJI-coo-K(池田伸次)》

FPSとADVを偏愛しつつネトゲにも造詣のあるフリーライター SHINJI-coo-K(池田伸次)

「Game*Spark」誌に寄稿しつつも「IGN JAPAN」誌と「GAMERS ZONE」誌にも寄稿。「インサイド」誌にも寄稿歴あり。今はなき「Alienware Zone」誌や「週刊Steam」誌にも寄稿していたフリーライター。 そしてヒップホップビートメイカー業も営む音楽家兼ゲームライターの兼業家。通称シンジ。

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